【1】
左の写真は、先日家の近くのスーパーで買った『こんぶ飴』のパッケージである。 昭和初期の画だろうか? こういう古くさい画を使って、「古くからあるお菓子ですよ」というのをアピールしているのだろう。 またその画がじいさんと子供であることから、「お年寄りから子供まで愛されているお菓子ですよ」と言いたいのだろう。 しかし、この画は不自然である。 じいさんのこの容貌からすると、確実に90歳は超えている。 当然その時代の年寄りだから、腰が曲がっていてもおかしくはない。 はたして、そういう人が子供を肩車するだろうか? うちのじいさんはすでに60代後半で、当時5,6歳のぼくを肩車することを拒んでいたくらいだ。 いくら自分の孫曾孫といえども、90歳を超えたじいさんがそういうことをやるだろうか。 もしやったら、腰を抜かしたり、骨粗鬆症の人なら骨を折ったりするのがオチだ。 家の人からも「おじいちゃん、やめて下さい」と言われるだろう。
【2】 肩車で思い出したが、北九州では肩車のことを『ビビンコ』という。 その語源が何かは知らないが、幼い頃からそう言い慣してきたので、今でもぼくは違和感なく使っている。
ところで、ぼくの勤める店は、社員の数よりもパート・アルバイトの数のほうが圧倒的に多い。 そのパートアルバイトの半分くらいが他県出身である。 ある日のことだった。 その他県出身のパートさんが、高いところにある商品を取ろうとして脚立を持ってきた。 ぼくはそれを見て「ビビンコしたら取れろうもん」と言った。 するとそのパートさんは「えっ、ビビンコって何?」と聞いた。 「えっ!?ビビンコはビビンコやろ」 「それって方言でしょ?」 「えっ、これ方言なん?」 「だって私の出身地じゃ使わないもん」 「えーっ、そうなん?」 「うん。で、ビビンコって何?」 パートさんにそう聞かれて、ぼくはその答がとっさに出てこなかった。 そこで「ほら、親が子供を肩に担ぐやないね」と説明すると、パートさんは「ああ、肩車のことやね」と言った。 そうだった、『肩車』と言うんだった。
しかし、ショックだった。 いや、別に『肩車』という言葉が出てこなかったことがショックだったわけではない。 『ビビンコ』が方言だとわかったことが、ショックだったのだ。 ぼくはそれまで、『ビビンコ』は標準語だとばかり思っていた。 人並み以上に本を読んできて、それなりに標準語や方言のことも知っているつもりだった。 ところが、それがいともたやすく否定されたのだ。 それも、『ビビンコ』というどうでもいいような言葉にである。 ショックを受けないはずがない。
時々そういうことがある。 かつてこの日記で『ギリギリ』という言葉を書いたら、掲示板に「ギリギリって何ですか?」と書かれたことがあった。 その時、ぼくは初めて『ギリギリ』が方言だということを知ったのだった。 では、標準語でいったい何というのか? その時は、それで困ったものだった。 それ以来、日記を書く時に標準語か方言か迷った時には、必ず辞書を引くようにしている。
【3】
右の写真は、うちのパートさんの姪っ子の写真である。 そして黄色い画は、その写真を見ながらぼくが描いたものである。 一つ一つのパーツを丁寧に描いたら、こんな顔になってしまった。 しかし、そう悪い画ではない。 中学1年の2学期に、美術の通信簿で1点を取ったぼくとしては、上出来なのだ。 ところが、それを見たパートさんは「全然似てないやん」と言う。 さらにその画を見たその子の母親からは「うちの子はこんな変な顔はしてない!」とさんざん文句を言われたのだ。 いったい、どこがおかしいんだろう? 中学1年の2学期に、美術の通信簿で1点を取ったぼくとしては、それがわからない。
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