昔、柔道の先生から聞いた話である。
ある日、先生は宴会で帰りが夜遅くなったことがあった。 一人夜道を歩いていると、どこからともなく二人の大きな男が現れた。 男の一人が、「おっさん、タバコ持ってないか?」と声をかけた。 先生は「わしはタバコは吸わん」と言った。 すると、もう一人の男が「じゃあ、金出せ」と言いながら、先生の胸ぐらをつかもうとした。 その瞬間先生は体をかわし、その男に当て身を食らわした。 それを見て、もう一人の男が襲いかかってきた。 先生は慌てず、その男にも当て身を食らわした。 一瞬の出来事だった。 先生の前には、二人の大きな男がうめき声を上げながら横たわっていた。 先生は、何事もなかったかのように家に帰った。
その翌朝、先生の家の扉を叩く音が聞こえた。 先生が出てみると、そこには昨晩の男が二人が怯えた顔をして立っていた。 一人は顎が外れ、もう一人は目が半分飛び出していたという。 その後ろには、その親らしき人が立っていた。 先生の顔を見て、親らしき人は「この人か?」と二人に聞いた。 二人はうなずいた。 それを見て、その人は言った。 「先生、昨夜はうちの者がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。この二人はうちの息子たちです。昨夜遅く帰って来たんですが、顔を見るとこの有様です。どうしたのかと尋ねてみると、じいさんからやられたと言うんです。どんな人だったかと聞いてみると、どうも先生のようだ。それで二人を連れてお詫びに来たんです。昨日の件は謝りますので、どうか二人を元に戻してやってください」 そこで、先生は二人を元に戻してやったという。 その後二人は更生して、真面目になったということだ。
先生は機嫌がいい時、よくこの話をしたものだった。 しかし、当て身を食らわしただけで、顎が外れたり目が飛び出したりするものだろうか。 ぼくはその話を聞くたびに、また先生のホラ話だろうと思っていた。 ところが後年、物の本にそれに似た話が載っていた。 やはり当て身一撃なのだ。 相手は、関節がバラバラになって歩けなくなったり、当て身の衝撃で痴呆になったらしい。 先生の話より、すごい話である。
ところで、この『当て身』という言葉を最近はとんと聞かなくなった。 当て身とは相手を拳で突く術で、空手に似ているが、空手ではない。 柔術の一種である。 空手のように、闇雲に突いたり蹴ったりして相手を攻撃するのではなく、急所を拳でただ一撃するらしい。 だから拳の硬さや突く力はいらない。 急所を覚えることに重点が置かれるのだという。 拳の使い方も、空手とは違っている。 空手の場合は人差し指と中指の付け根の関節で相手を突くのだが、当て身は中指の第二関節で相手を突く。 そのため、拳の握り方が空手とは違ってくる。 中指を浮かせた状態で拳を握るのだ。 空手やボクシングは、指の骨を折ったりして危険だからという理由から、こういう握り方を禁じている。 しかし、当て身は殴るのではない。 急所を突くだけである。 だから、こうやったほうが効率がいいのだ。
ぼくは先生から当て身を習ったわけではないが、急所だけはいくつか教えてもらったことがある。 そこはちょっとつかんだだけでも、飛び上がるほど痛いのだ。 昔の日本の武術は、相手の体の作りや動きを利用したものが多い。 そこには力は存在しない。 理があるだけである。 今は力のスポーツに成り果ててしまった柔道だって、元は「相手の力を利用して投げる」武術だったのだ。 攻撃を仕掛けるものではなく、あくまでも護身のためのものだ。 ぼくが柔道を習ったのも、それが目的だった。 試合柔道に違和感を感じていたのも、そのためであった。
|