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2005年03月28日(月) 当て身

昔、柔道の先生から聞いた話である。

ある日、先生は宴会で帰りが夜遅くなったことがあった。
一人夜道を歩いていると、どこからともなく二人の大きな男が現れた。
男の一人が、「おっさん、タバコ持ってないか?」と声をかけた。
先生は「わしはタバコは吸わん」と言った。
すると、もう一人の男が「じゃあ、金出せ」と言いながら、先生の胸ぐらをつかもうとした。
その瞬間先生は体をかわし、その男に当て身を食らわした。
それを見て、もう一人の男が襲いかかってきた。
先生は慌てず、その男にも当て身を食らわした。
一瞬の出来事だった。
先生の前には、二人の大きな男がうめき声を上げながら横たわっていた。
先生は、何事もなかったかのように家に帰った。

その翌朝、先生の家の扉を叩く音が聞こえた。
先生が出てみると、そこには昨晩の男が二人が怯えた顔をして立っていた。
一人は顎が外れ、もう一人は目が半分飛び出していたという。
その後ろには、その親らしき人が立っていた。
先生の顔を見て、親らしき人は「この人か?」と二人に聞いた。
二人はうなずいた。
それを見て、その人は言った。
「先生、昨夜はうちの者がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。この二人はうちの息子たちです。昨夜遅く帰って来たんですが、顔を見るとこの有様です。どうしたのかと尋ねてみると、じいさんからやられたと言うんです。どんな人だったかと聞いてみると、どうも先生のようだ。それで二人を連れてお詫びに来たんです。昨日の件は謝りますので、どうか二人を元に戻してやってください」
そこで、先生は二人を元に戻してやったという。
その後二人は更生して、真面目になったということだ。

先生は機嫌がいい時、よくこの話をしたものだった。
しかし、当て身を食らわしただけで、顎が外れたり目が飛び出したりするものだろうか。
ぼくはその話を聞くたびに、また先生のホラ話だろうと思っていた。
ところが後年、物の本にそれに似た話が載っていた。
やはり当て身一撃なのだ。
相手は、関節がバラバラになって歩けなくなったり、当て身の衝撃で痴呆になったらしい。
先生の話より、すごい話である。

ところで、この『当て身』という言葉を最近はとんと聞かなくなった。
当て身とは相手を拳で突く術で、空手に似ているが、空手ではない。
柔術の一種である。
空手のように、闇雲に突いたり蹴ったりして相手を攻撃するのではなく、急所を拳でただ一撃するらしい。
だから拳の硬さや突く力はいらない。
急所を覚えることに重点が置かれるのだという。
拳の使い方も、空手とは違っている。
空手の場合は人差し指と中指の付け根の関節で相手を突くのだが、当て身は中指の第二関節で相手を突く。
そのため、拳の握り方が空手とは違ってくる。
中指を浮かせた状態で拳を握るのだ。
空手やボクシングは、指の骨を折ったりして危険だからという理由から、こういう握り方を禁じている。
しかし、当て身は殴るのではない。
急所を突くだけである。
だから、こうやったほうが効率がいいのだ。

ぼくは先生から当て身を習ったわけではないが、急所だけはいくつか教えてもらったことがある。
そこはちょっとつかんだだけでも、飛び上がるほど痛いのだ。
昔の日本の武術は、相手の体の作りや動きを利用したものが多い。
そこには力は存在しない。
理があるだけである。
今は力のスポーツに成り果ててしまった柔道だって、元は「相手の力を利用して投げる」武術だったのだ。
攻撃を仕掛けるものではなく、あくまでも護身のためのものだ。
ぼくが柔道を習ったのも、それが目的だった。
試合柔道に違和感を感じていたのも、そのためであった。


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