昨日の日記を読んでもらったらわかると思うが、ぼくはラーメンの味にはこだわらない。 ラーメンの味なんてどこも似たり寄ったりだから、どうでもいいのだ。 それよりも大事な食べ物がぼくにはある。 それはチャンポンである。
『チャンポン』 彼はチャンポンが好きだった。 とにかくチャンポンが好きだった。 金がある時は、 いつも街に出てチャンポンを食べるのだ。 二杯も三杯も食べるわけではない。 一杯も食べれば、それで満足なのだ。 そして食べ終わった後に水を飲みながら、 おいしそうにタバコをふかすのだ。 他のものは食べないのかというと、 そうでもないらしく、 時々ニンニク臭いときもある。 だけど、そのニンニク臭さの中で言葉を交わすと、 やはりチャンポンの話が出てくる。 おかしな奴だと、 よく大笑いしたものだ。 彼はチャンポンが好きだった。 とにかくチャンポンが好きだった。
詩にまで書いているくらいだから、その思い入れは人一倍強い。 チャンポンは、豚骨スープオンリーのラーメンと違い、野菜のエキスが加わっているから、実にまろやかな味である。 これがぼくの舌に合うのだ。 かつて野菜スープがブームになったことがあるが、チャンポン好きのぼくにとっては無用なものだった。 そう、チャンポンのスープ、即ち野菜スープだからだ。 さらに、野菜や豚肉がたっぷり入ってボリウムがあり、けっこう腹持ちする。 ラーメンのように、食べた後しばらくすると腹が減るようなことはないということだ。
ぼくは、気が向いたら、いつもチャンポンを食べに行っている。 行く店もほぼ決まっている。 地元の人にしかわからないだろうが、いちおう店の名前を書いておく。 岡垣の『峠ラーメン亭』、折尾の『おおむら亭』、それと黒崎の『鉄なべ』である。 『峠ラーメン亭』と『おおむら亭』は、同じ系統のチャンポンであるが、味は『峠ラーメン亭』のほうがいい。 ただ、家から『峠ラーメン亭』に行くには、車で行っても若干時間がかかるので、歩いて行ける『おおむら亭』を利用することが多い。 『鉄なべ』は、だいたい月に一回行っている。 チャンポンにしては珍しい醤油味で、あっさりしている。
福岡県在中の人なら、「地元なのに、どうして『銀河のチャンポン』の名前が入ってないのか」と思うだろう。 そう、『銀河のチャンポン』という店は、県下で一番有名なチャンポンの店なのだ。 そのため、遠方から食べに来る人も多い。 ラジオなどでも、よくチャンポンのおいしい店として紹介されているし、最近はラジオでCMも流すようになった。 おそらく、チャンポン屋で行列の出来る店というのは、ここくらいではないだろうか。
しかし、ぼくは『銀河のチャンポン』の味はあまり好きではないのだ。 おいしい人にはおいしいだろうが、ぼくの舌には合わない。 10数年前、銀河がまだ八幡駅前にあった頃に、一度行ったことがある。 その頃から行列の出来る店として有名だったので、わざわざ昼食時を外していった。 にもかかわらず、その時間も行列が出来ていた。 さんざん待たされたあげく食べたのだが、一口食べてがっかりした。 期待はずれだったのだ。 ぼくは、先に書いた『峠ラーメン亭』のようなオーソドックスなチャンポンが好きなのだが、銀河のチャンポンは、唐揚げを入れるなどしてほとんど創作だった。 ということは、その味が気に入った人にとっては、比較する店がないがゆえに、自ずとNo.1の店になってしまう。 銀河の人気の秘密は、おそらくそういうところにあるのだろう。 しかし、ぼくのように合わない人間には合わないのだ。 やはり、普通のラーメン屋でやっているような、白いスープのチャンポンのほうが、ぼくは好きである。
ところで、上の詩だが、昭和54年9月13日に書いたものである。 その頃ぼくは東京にいた。 そろそろ東京に飽きた頃に書いたのだ。 つまり、チャンポンというのは、ぼくにとって郷愁の象徴(シンボル)だったわけである。 岐阜に住んでいた叔母がこちらに帰省した時の話だが、駅に着いて真っ先に行ったのが、とあるラーメン屋だった。 そこで注文したのがチャンポンだった。 食べ終わったあとに、叔母はひと言言った。 「やっと九州に帰ってきた」 叔母にとっても、チャンポンは郷愁の象徴(シンボル)だったのだろう。
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