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2005年03月13日(日) チャンポンの話

昨日の日記を読んでもらったらわかると思うが、ぼくはラーメンの味にはこだわらない。
ラーメンの味なんてどこも似たり寄ったりだから、どうでもいいのだ。
それよりも大事な食べ物がぼくにはある。
それはチャンポンである。

 『チャンポン』
 彼はチャンポンが好きだった。
 とにかくチャンポンが好きだった。
 金がある時は、
 いつも街に出てチャンポンを食べるのだ。
 二杯も三杯も食べるわけではない。
 一杯も食べれば、それで満足なのだ。
 そして食べ終わった後に水を飲みながら、
 おいしそうにタバコをふかすのだ。
 他のものは食べないのかというと、
 そうでもないらしく、
 時々ニンニク臭いときもある。
 だけど、そのニンニク臭さの中で言葉を交わすと、
 やはりチャンポンの話が出てくる。
 おかしな奴だと、
 よく大笑いしたものだ。
 彼はチャンポンが好きだった。
 とにかくチャンポンが好きだった。

詩にまで書いているくらいだから、その思い入れは人一倍強い。
チャンポンは、豚骨スープオンリーのラーメンと違い、野菜のエキスが加わっているから、実にまろやかな味である。
これがぼくの舌に合うのだ。
かつて野菜スープがブームになったことがあるが、チャンポン好きのぼくにとっては無用なものだった。
そう、チャンポンのスープ、即ち野菜スープだからだ。
さらに、野菜や豚肉がたっぷり入ってボリウムがあり、けっこう腹持ちする。
ラーメンのように、食べた後しばらくすると腹が減るようなことはないということだ。

ぼくは、気が向いたら、いつもチャンポンを食べに行っている。
行く店もほぼ決まっている。
地元の人にしかわからないだろうが、いちおう店の名前を書いておく。
岡垣の『峠ラーメン亭』、折尾の『おおむら亭』、それと黒崎の『鉄なべ』である。
『峠ラーメン亭』と『おおむら亭』は、同じ系統のチャンポンであるが、味は『峠ラーメン亭』のほうがいい。
ただ、家から『峠ラーメン亭』に行くには、車で行っても若干時間がかかるので、歩いて行ける『おおむら亭』を利用することが多い。
『鉄なべ』は、だいたい月に一回行っている。
チャンポンにしては珍しい醤油味で、あっさりしている。

福岡県在中の人なら、「地元なのに、どうして『銀河のチャンポン』の名前が入ってないのか」と思うだろう。
そう、『銀河のチャンポン』という店は、県下で一番有名なチャンポンの店なのだ。
そのため、遠方から食べに来る人も多い。
ラジオなどでも、よくチャンポンのおいしい店として紹介されているし、最近はラジオでCMも流すようになった。
おそらく、チャンポン屋で行列の出来る店というのは、ここくらいではないだろうか。

しかし、ぼくは『銀河のチャンポン』の味はあまり好きではないのだ。
おいしい人にはおいしいだろうが、ぼくの舌には合わない。
10数年前、銀河がまだ八幡駅前にあった頃に、一度行ったことがある。
その頃から行列の出来る店として有名だったので、わざわざ昼食時を外していった。
にもかかわらず、その時間も行列が出来ていた。
さんざん待たされたあげく食べたのだが、一口食べてがっかりした。
期待はずれだったのだ。
ぼくは、先に書いた『峠ラーメン亭』のようなオーソドックスなチャンポンが好きなのだが、銀河のチャンポンは、唐揚げを入れるなどしてほとんど創作だった。
ということは、その味が気に入った人にとっては、比較する店がないがゆえに、自ずとNo.1の店になってしまう。
銀河の人気の秘密は、おそらくそういうところにあるのだろう。
しかし、ぼくのように合わない人間には合わないのだ。
やはり、普通のラーメン屋でやっているような、白いスープのチャンポンのほうが、ぼくは好きである。

ところで、上の詩だが、昭和54年9月13日に書いたものである。
その頃ぼくは東京にいた。
そろそろ東京に飽きた頃に書いたのだ。
つまり、チャンポンというのは、ぼくにとって郷愁の象徴(シンボル)だったわけである。
岐阜に住んでいた叔母がこちらに帰省した時の話だが、駅に着いて真っ先に行ったのが、とあるラーメン屋だった。
そこで注文したのがチャンポンだった。
食べ終わったあとに、叔母はひと言言った。
「やっと九州に帰ってきた」
叔母にとっても、チャンポンは郷愁の象徴(シンボル)だったのだろう。


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