相変わらずラーメンブームは続いているようだ。 先日もラジオで、おいしいラーメン屋の紹介をやっていた。 ぼくも昔は、そういったおいしいラーメン屋を探して歩いたことがある。 外回りをしていた頃なんかは、市内のおいしいと言われているラーメン屋を回っていたものだ。 多い時は、一日に5軒ハシゴしたこともある。 さすがにその時は、喉が渇いてたまらなかった。 また、用もないのに、わざわざ門司港まで出かけて行ったこともある。 別に船を見に行ったわけではない。 そこにおいしいラーメン屋があると聞いたからだ。 で、味はと言うと、さて、どうだったのだろう? 食べ物のおいしさというのは、その時その時の腹の減り具合で大きく変化するものだから、腹が減っている時はどんな店でもおいしく感じたし、そうでない時はそこまででもなかった。
中学の時だったが、土曜日は決まって近くのラーメン屋に行っていた。 その日は弁当がなかったので、鍵っ子だったぼくは、外食をしなければならなかったわけだ。 まだ、ラーメングルメなどという言葉もブームもなかった時代だから、味なんか意識したことはなかった。 ラーメンとは、だいたいこんな味だと思って食べていたのだ。 その時も、腹の減っている時と、そうでない時の味は違っていた。
高校に入ってからは、お好み焼きに入り浸っていたため、ラーメン屋に行くことはほとんどなくなった。 それでも、試験休みでクラブがない時は、バスの時間待ちの合間にラーメンを食べに行ったものである。 通学路にはいくつもラーメン屋があったが、いつも行くのは決まっていた。 後年、ラーメンブームに乗っかって東京に進出し、行列の出来る店になった『唐そば』である。 しかし、ぼくは、そこのラーメンがおいしいと思っていたわけではない。 つまり、味にこだわってその店を選んだのではないということだ。 では、なぜそこを選んだのかというと、バス停に一番近かったからである。 それ以外に理由はない。 その『唐そば』のラーメンでさえ、腹が減っている時にはおいしく思えたのだから、おいしいとかおいしくないとかは、やはりその時の腹の減り具合で決まるものなのである。
ぼくは、俗にいうラーメングルメではない。 そういう舌を持っているわけでもないし、味の一つ一つを気にしながら食べるような神経質な人間でもない。 ただ、その時々に空腹感を押さえられたら、味はどうでもいいのだ。 腹が減っている時は、どこの店のラーメンでもおいしく感じるのだからだ。 それを考えると、以前のラーメンブームの時に、市内を走り回っていた自分が恥ずかしく思える。
そうそう、その時に気づいたことがある。 ぼくはインスタントラーメンに生卵を乗せ、バターをたっぷり入れて食べるのが大好きである。 が、この辺に多い、豚骨至上主義のラーメン店では、まずそいうことはやってくれない。 札幌ラーメンの店でも、卵はゆで卵だし、バターの量は限られているのだ。 つまり、どんなにおいしいと言われるラーメン屋のラーメンも、自分で好みの味を作れるインスタントラーメンには勝てないということである。
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