| 2005年03月05日(土) |
20世紀少年18巻を買う(前) |
昨日、『20世紀少年(18巻)』を購入した。 もうそろそろ出る頃だろうと、先月から足繁く書店に通っていたが、いつもふられていた。 最後に書店に行ったのは、今月の1日だった。 その日も『20世紀少年(18巻)』はなかったので、店の人に聞いてみようと思いレジの近くまで行った。 ところが、そこに前々から探していた本が置いてあった。 「おっ!」っと思い、それを手にとって読んでいるうちに、『20世紀少年』のことをすっかり忘れてしまった。 その本を買うと、店の人に『20世紀少年(18巻)』のことを聞くこともなく帰ってしまった。 結局、その後その本にハマってしまい、昨日まで『20世紀少年(18巻)』のことは忘れていた。
昨日のことだった。 晩飯を食った後に、嫁ブーがコンビニに行くというので、ついていった。 週刊誌でも読もうと思ったのだ。 コンビニで嫁ブーが買い物している間、ずっとぼくは週刊誌を読んでいた。 そして、嫁ブーの買い物が終わり帰ろうとした時だった。 ふとコミックのところを見ると、そこに見慣れたロゴがあった。 【20世紀少年】 「おお、出とるやないか」 ついぼくは大声を出してしまった。 店にいた人の視線が集まる。 しかし、ぼくはそれを無視して、本をレジに持って行った。
嫁ブーの倍の早さで歩き家に帰ったぼくは、さっそく本を開いた。 相変わらず面白い。 そして考えさせられる。
例えば、今回は主要人物である“ともだち”の、空中浮揚のからくりをばらす場面があった。 ロープで宙づりにするのだが、そこにいた観衆は、それを疑いもせずに空中浮揚だと信じてしまうのだ。 そのロープを操っている人間でさえも、ロープを操っていることすら忘れて、「ホントに浮いている…」「すごい…」と言って感動している。 そこに、「なんでもいいんだよ。彼らはなんでもいいから、信じたいものがほしいんだよ」という“ともだち”の言葉が入る。
オウム麻原の著書に、空中浮揚の写真が載っていた。 オウムに警察の捜査が入った頃に、専門家がそれを検証している番組を見たことがある。 専門家は「これは足を組んで跳ねたものだ」と結論づけていた。 それを受けて、コメンテーターが「ああ、あれは空中浮揚ではなく、空中ジャンプなんですね」とコメントを入れていた。 が、わざわざそんなバカげたことを検証して、テレビで流す必要があっただろうか。 「そういうことをすること自体が病んでいる」と、ぼくはその時思ったものだった。
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