ヒロミがぼくの配下になる前にいた部門でのこと。 仕事中、暇になると、ヒロミは決まってぼくの嫁さんに内線電話をかけていた。 ある日の午前中、いつもようにヒロミから嫁さんに電話がかかった。 『今日は何だろう?』と受話器を取ると、何の前置きもなく「悲しいことがあったんよ。帰るね」と言うだけ言って電話を切ったらしい。 心配した嫁さんがヒロミの売場に電話をしてみると、「悲しいこと…」の電話をかけた後、さっさと早退したという。 何があったのかとその売場の人に聞いてみると、どうもそこの主任が転勤するらしい。 家庭内で何があったわけではないので、帰った原因はそのことだと思われる。 しかし、上司の転勤は確かに彼女にとっては悲しいことかもしれないが、別に早退するほどのことはないだろう。 もしかしたらヒロミは、昔から悲しいことがあれば、早退する人間だったのかもしれない。
その頃はよくカラオケスナックに行っていたものだ。 何かにかこつけては、すぐに飲みに行く。 そのメンバーの中に、いつもヒロミはいた。 彼女は歌がうまかった。 が、一曲通して歌うことは希だった。 1番を歌い終わると、「はい、○○さん。2番歌って」などと言い、マイクを渡す。 マイクを渡されたほうが歌っている最中、ヒロミはその歌を聴くこともせずに、次の歌を探していた。 その歌が終わった時には、もう次の曲が入っている。 もちろんヒロミが入れたのだ。 そしてまた1番だけ歌って、次の曲を探していた。
ヒロミが、小林明子の『恋におちて〜Fall In Love〜』を歌った時のことだった。 うちの嫁さんに「いっしょに歌おうか」と言って誘った。 嫁さんが「いいよ」と言うと、ヒロミは「じゃあ私が1番歌うけ、あんた2番ね」と言った。 2番は英語である。 つまり自分は日本語の部分を歌い、嫁さんには英語の部分を歌わせてたわけである。 うちの嫁さんは、ぼくと同じく英語がだめなので、戸惑っているうちに曲は終わってしまった。 もちろん、すぐに次の曲が始まったのは言うまでもない。
さて、そういうヒロミといっしょに仕事をしていて面白かったのは、ヒロミはその美貌のせいか、小学生や中学生の男子を手なづけることがうまく、すぐに子分にしていたことだ。 子分にして何をしていたかというと、使い走りをさせていたのである。 ある時、小学生の子分がやってきた。 ヒロミはその子に「ねえねえ、角のスーパーに行って、158円のアーモンドグリコ買ってきてくれん?」と頼んでいた。 子分が嫌そうな顔をしたので、ヒロミは「ちゃんと、お釣りやるけ」と言った。 子分は「それならいいよ」と言う。 ヒロミは財布を開いて、子分に小銭を手渡した。 160円だった。 子分はそれを見て、「えっ!?」と言った。 ヒロミは何食わぬ顔で、「お願いね。お釣りはいらんけ」と言った。 子分は渋々買いに行った。 ヒロミには、そういうちゃっかりした面もあった。
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