| 2004年05月13日(木) |
会社は幼稚園ではない |
毎朝日課としていることに、レジパートのKさんを驚かすというのがある。 呼吸を潜め、忍び足でKさんの背面に近づき、突然大声で「おはようございます」と言うのだ。 こういうのに弱いKさんは、「ワーワー、キャーキャー」言って騒ぎ出す。 他のレジの人は、「しんちゃん、だめやないね。Kさんをびっくりさせたりしたら」と口では言いながらも、顔は笑っている。 そういう中、ただ一人冷ややかな目でそれを見ている、いや、そのことにまったく関心を持たない女性がいる。 H子である。
さて、昨日H子のことをこの日記に書いたが、内示を親しい人に言って回ったH子が、今日どういう態度でいるのか、ぼくには大変興味があった。
朝、会社に着くと、ぼくはさっそくレジに行き、いつものようにKさんを驚かした。 周りはいつものように笑っている。 そしていつものように、そのことに無関心なH子がいる。 いつもの朝の風景だった。
その後、ぼくは開店の準備をした。 外はあいにくの雨、開店を待っているお客さんもいない。 『今日も暇だろな』と思いながら、ぼくは売場に戻った。
売場で事務処理をしているうちに、10時になった。 開店である。 それから5分ほどして、ぼくは用があってレジのほうに行った。 すると、レジの様子が何となくおかしい。 何があったんだろうとKさんに聴いてみると、Kさんは、 「H子さんがね、突然泣き出してねえ。今レジ長が店長のところに連れて行ったんやけど…」と言った。 「何かあったと?」 「いや、何もないよ。とにかく突然泣き出したんよ」 「いじめたんやろう?」 「そんなことするわけないやんね」 すると、もう一人のパートのMさんが、 「パフォーマンスやないんね」と言った。
レジに聴いても今ひとつ要領を得ないようなので、ぼくは事務所に行ってみることにした。 今事務所の中に入ることははばかれるので、窓の外から事務所を覗いてみることにした。 なるほどH子は、巨体を振るわして泣いている。 何人かの人がH子の周りに集まっている。 と、その時、H主任が事務所から出てきた。 そこで、ぼくは「何かあったんですか?」と聞いてみた。 すると、H主任はいかにも不機嫌そうな顔で、「知らんぞ」と言った。 「そうですか」 「ほんと迷惑な話やのう。店長も、何であんな奴を留めとくんかのう。おれならとっくにクビにしとるぞ」 もちろんH主任も、H子が薬局に異動する話を知っている。 「内示を人にペラペラ言うて回って、本当にバカやのう」
そんな話をしている時に、レジ長が事務所から出てきた。 「どうしたんか?」 「知らんよう。私の顔を見るなり泣き出すんやけ」 「お前が何か言うたんか?」 「言うわけないやん。朝は体操したりしよったし、わりと機嫌がよかったんよ。もしかしたら、誰かがH子さんに吹き込んだんかもしれん」 「え?」 「いや、事務所で、何で泣いたんか聴いてみたんよ。そしたら『H先生が怖い』とか言うたけ」 「怖い?昨日あれだけ嬉しそうな顔して、ペラペラ内示を言うて回りよったやないか」 「だから、今日誰かに『H先生にいじめられるよ』とか言われたんやないんかねえ」 「H子にそんなこと吹き込む奴とかおるんか?」 「さあ。あまり親しい人はおらんみたいやけど」
ここでぼくは、さっきMさんが言った『パフォーマンス』という言葉を思い出した。 「もしかしたら、パフォーマンスかも知れんのう」 「何でパフォーマンスするんね?」 「あいつ、異動のこと誰も知らんと思っとるやん。当然お前もそのことを知らんと思ったんやないんか。それでお前に教えたいと思った。だけど、嬉しい顔で言うわけいかんやん。そこで泣いて、本当は行きたくないけど…、というポーズをとったんやろう」 「そんなことするかねえ」 「おう、あいつ、体面繕うのは得意みたいやけのう」
さて、その後しばらくしてからレジに行ってみると、H子がいない。 レジ長に聞いてみると、「帰ったよ」と言う。 「帰った?」 「うん、店長が『このまま店に出るわけもいかんやろう。今日は帰り』と言ったらしいよ」 「えっ、泣いたくらいで帰らせるんか? ここは幼稚園じゃないんぞ」 「知らんよう。店長の判断なんやけ」 「じゃあ、おれも早く帰りたい時は、泣くことにするわい」 ということで、今日ぼくは、人前でさんざん泣き真似をした。
しかし、店長は変な前例を作ってくれたものである。 H子のことだから、きっと『早く帰りたい時は泣けばいい』と思っているにちがいない。
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