法事の日に本屋に行ったことを先日書いたが、その帰りの話である。 本屋を出た後、バスセンターに行ったのだが、家の前に停まるバスは出たばかりだった。 待てば30分ほどかかる。 そこで、しかたなく別の路線を利用することにし、バスに乗り込んだ。
土曜日ということで、さほどの渋滞もなく、10分ほどで最寄りのバス停に着いた。 そこから家まで7,8分歩くことになる。 主要幹線の脇を歩いて帰るのだが、この道は、平日いつも混んでいる道である。 さすがに土曜日は少ないだろうと思いきや、何といつもより渋滞しているではないか。 それもまったく進まない状態である。 何ごとかとその先のほうを見てみると、ずっと向こうに救急車が停まっていた。 「これは事故か」と思った瞬間、自ずと足早になっていた。
事故現場はしょっちゅうお目にかかっているものの、それは車の中からであり、いつも何があったのかわからないままに通り過ぎなければならない。 歩行者として事故現場を通れば、それをゆっくり見ることができるのだが、そういう機会に巡り合うことは、滅多にあることではない。 その滅多にない機会に遭遇したのだ。 「このチャンスを逃してなるものか」 そう思いながら、ぼくは現場に向かった。
ところが、いくら足早に歩いても、歩く速度には限界がある。 そのためその途中二つある信号に、二度とも引っかかってしまった。 イライラしながら信号を待ち、幅の広い道路を横断し、またイライラしながら信号を待たなければならない。 そうこうしているうちに、事故の現場検証が終わってしまう。 最後は走っていた。
そうやって何とか事故現場にたどり着いた時、無情にも救急車は立ち去ってしまった。 「あーあ。チャンスを逃したわい」 と、事故があっただろう場所に目をやると、そこにはまだ何人かの野次馬がたむろしていた。 レスキュー隊らしき人が、その野次馬たちと会話を交わしている。 おそらく事情を聴いていたのだろう。 野次馬は、身振り手振りで事情を説明しているようだった。 その時、その野次馬の一人が、歩道のほうを指さした。 何だろうと見てみると、そこにはボードのような物が立っていた。 ぼくの立っている場所からだと、それが何だか確認出来ない。 そこでぼくは、場所を移動した。 そして改めてそこを見てみると、ボードと思ったのは何と車の底だった。 車が運転席側を下にして立っていたのだ。 それも幅2メートルくらいの歩道にである。 そのすぐ向こう側には民家がある。 よく家にぶつからなかったものだと感心していると、さらに驚くべきことに気がついた。
ぼくはその現場と車道を隔てた対面から見ていたのだが、そこから見ると、車道の向こうに歩道がある。 そこに車が立っていたわけだが、その車道と歩道はガードレールで隔てられているのだ。 ということは、車はガードレールを飛び越え、そのまま横向きに落ち、ピタリと歩道に着地した、ということになる。 そこは交差点近くである。 いったいどこをどう走って、どういうハンドルさばきをしたら、ああいう曲芸みたいな事故になるのだろう。 ぼくの横にいた人も、「こんなこともあるんですなあ」と変に感心していた。
その事故現場からぼくの家までは、歩いて3分ほどである。 車道では、車が動けずにずっと列を作っていた。 ぼくはそれを見て、「この先事故やけ、迂回したほうがいいよ」と教えてやりたい気持ちになった。 が、何台かに柄の悪そうな姉ちゃんが乗っているのを見て気が変わった。 「そこでずっと渋滞してろ」という気になったのだ。 家に帰ってからも、窓からしばらくその渋滞風景を見ていたが、渋滞は一時間経っても解消されなかった。
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