| 2004年05月08日(土) |
親父さんの七回忌(後) |
『満堂の禿あたまと銀器とオールバックとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。 ・・・・ 麻痺に瀕した儀礼の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。 何がをかしい、尻尾がをかしい。何がのこる、怒りがのこる。 腹をきめて時代の曝しものになったのっぽの奴は黙ってゐる。 往来に立って夜更けの大熊星を見てゐる。 別の事を考へてゐる。』(高村光太郎『のつぽの奴は黙ってゐる』より)
さて、10時半から始まる法事に少し遅れて行ったぼくには、座る場所も用意されなかった。 しかたなく、法事をやっている隣の部屋の片隅に座っていた。 周りを見回すと、見知らぬじじいやばばあばかりだ。 みな熱心に坊さんの読経に聞き入っている。 嫁さんの実家は浄土宗だった。 おそらく坊さんは阿弥陀経を唱えていたのだろう。 その経本が来ていた全員に配られていたようで、みな坊さんが読経している部分を目で追っていた。 時々『南無阿弥陀仏』という念仏が出てくるのだが、そこのところだけは、申し合わせたように「南無阿弥陀仏」と合唱していた。 ぼくの家の宗旨は浄土真宗だから、坊さんは同じく阿弥陀経を唱えている。 だが『南無阿弥陀仏』の合唱はない。 この辺に宗旨の違いがあるのだろうか。 いや、嫁さんの実家は田舎だから、もしかしたらその地の風習なのかもしれない。
ぼくは読経の間、冒頭の光太郎の詩を思い出していた。 結婚式にしろ法事にしろ、だいたいこんなものである。 この詩の添え書きに、来客のひそひそ話が書いてある。 『…へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢゃありませんか。…いやにのつぽな貧相な奴ですなあ。…』 ぼくは今日法事に来ていた人間の中では一番背が高かった。 おそらく、ぼくが遅れて入って行った時、こんな感想を持った人がいたにちがいない。 まあ、息子とは言うものの、義理ではあるが。
その後、宴会となった。 場所は同じ町にある寿司屋で行われた。 歩くにはちょっと遠い所にあった。 が、どういう方法でそこに行くのかを、ぼくは教えてもらってなかった。 「そろそろ行くよ」と言う声がしたので外に出てみると、誰もいない。 どこかで待ち合わせているのかと思って、周りを探してみたが、やはり誰もいない。 いっそこのまま帰ってしまおうか、とも思ったが、銀行に行かないとお金もない。 そこで、銀行のある所まで行くことにした。
10分ほど歩いた時、一台の車がぼくの横で停まった。 嫁さんの弟の車だった。 その車には嫁さんも乗っていた。 「どこ行きようと?」 「銀行」 「宴会は?」 「銀行に寄ってから行く」 「歩いて行くと?」 「おう」 「いいけ、乗っていき」 と、ぼくの腕を引っ張った。 これで宴会から逃げられなくなった。
宴会でもぼくは浮いた存在だった。 ビールを注がれるのが嫌だったので、日本酒をたのみ一人で飲んでいた。 嫁さんは一族との話に花が咲いている。 共通の話題がないぼくには、ついて行けない。 宴会は2時間くらいだったが、その間ぼくはずっと光太郎の詩を口ずさんでいた。 『別の事を考へてゐる』である。
ようやく宴会が終わった。 一同は、また嫁さんの実家に戻るという。 この状態がまだ続くのかと思うと、ぼくはぞっとした。 そこで嫁さんに、本屋に行ってくると言って、逃げ出すことにした。 嫁さんは不満そうだったが、留まればこちらが不満になる。 「じゃあの。実家でゆっくりしてこいよ」 そう言って、ぼくはバス停に向かった。 法事から数えると3時間半、えらく長く感じたものだった。
「ぼくはこの一族の一員ではない」 嫁さんの実家に行くと、いつもぼくはこう思ってしまう。 今日またその思いを強くした次第である。
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