頑張る40代!plus

2004年04月21日(水) 月夜待の月

 『月夜待』

 君に逢えれば こんなことだって
 忘れられると 思ったものさ
 笑い話に 君のことを
 歌ったことも 昔のことさ

 夢はいつも 美しいもので
 しあわせそうな 二つの影を
 映し出しては 消えていった
 あこがれては 思い悩み

  月夜待から 二つの道を
  選ぶいとまが 君との川で

 流れては 遠くなる恋を
 見つめては しあわせなんか
 こんなおれに くるもんかと
 つぶやきながら あおる酒よ

  月夜待から 二つの道が
  出逢うところで 君を夢見た

 いつか知らず 時は過ぎていった
 君に逢えるのは 夢の中だけと
 月夜待に かすかに浮かぶ
 月を見ては 君を想う 


16歳から25歳までの10年間、ぼくはずっと歌を作っていた。
最初の作った歌が、『怪獣になって』というつまらない歌だった。
それから200曲近くの歌を作ったのだが、その最後になったのが、この『月夜待』だった。
もちろん、その後も何曲かの歌を作ることは作ったが、それはその10年間に作った歌の焼き直しにすぎない。

なぜ25歳で歌作りをやめたのかというと、作る意義を失ったからである。
この日記に何度も書いているが、ぼくには高校1年から好きだった女の人がいた。
ずっと片思いで、途中何度も諦めようとしたのだが、結局諦められないでいた。
その想いが数々の歌になったわけだが、いよいよ諦めざるをえない時がやってきた。
風の噂で、彼女の結婚を聞いた時だった。

その頃には、もはや諦めてはいたものの、現実に結婚という言葉を聞いた時は、かなりのショックを受けたものだ。
それが25歳の時だった。

ぼくにとって歌というのは、彼女に対する強い想いを表現する術であり、またその想いに伴うストレスの解消であったのだ。
それゆえに、彼女を失ったぼくに、歌は不要なものとなってしまった。
それを実証するかのように、それからしばらくして、ぼくの興味は他のものへと移行する。

『月夜待』、
北九州市近郊にある地名である。
詩には書いているものの、ぼくは別にここで彼女を諦めたわけではない。
ただ、詩情溢れるこの地名に、ぼくの恋を乗せたかったのだ。
つまりこの曲は、16歳から25歳まで恋の遍歴を、ぼくなりにまとめた歌なのである。


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