ラジオを聴いていると、県教職員組合からの意見広告というのが流れてきた。 詳しくは覚えていないが、「今こうしている間にも、尊い命が失われている。今すぐ戦争を止めさせましょう」という内容だった。
おそらくこの意見広告を出した人たちは、いいことをしたくらいに思っているのだろう。 が、あまりに無責任な内容である。 そもそもこの意見、いったい誰に言っているのだろう。 国連か? 日本政府か? 福岡県民か? 地球市民なる人たちか? 果たしてそういう人たちに意見して、戦争が終わるとでも思っているのだろうか。
「今すぐ戦争を止めさせましょう」はいいが、ではいったいどうやって止めさせろというのだろう。 自分にその策がないくせに、人に意見をするのはおかしい。 策は、意見の対象者にでも考えさせようという気だろうのか。 「私たちは、そのためにこういう策を立て、活動をやっている。これを聞いているあなたたちにも、ぜひ参加してほしい」というのならわかるが、自分の言いたいことだけ言って「あとは知りません。あなたたちが考えることでしょう」ではねえ。 こういう無責任な言いっぱなし広告に、いったい誰が賛同してくれるというのだろうか。 意見された人たちにとっても、迷惑な話である。
あっ、そうか! 教員、というか組合員には「話し合いましょうよ」という得意技があった。 それが策か。 しかし、形の上では、話し合いがこじれての戦争なのに、この上何を話し合おうというのだろう。 とはいえ、彼らの「話し合いましょうよ」は吊し上げである。 ということは、この戦争もフセインの吊し上げなのだから、「話し合いましょうよ」に含まれるということじゃないか。 じゃあ、何のための意見広告なのだろうか。
それはそうと、彼らは、この意見広告を聴いた人がみな「先生の意見だから正しい」と受け取ってくれているとでも思っているのだろうか。 もしそうなら、思い上がりである。 先生によるイジメ、セクハラ、万引き、あげくに殺人、こんな記事が新聞紙上を賑わす昨今、「先生の意見だから正しい」と思っている人がいったい何人いるのだろう。
「○○先生は出張だから、みんな自習をやっておくように」 ぼくが高校の頃、先生の出張といえば、決まって組合活動だったような記憶がある。 おそらくそこで、平和、同和、人権…、なんてことをやっていたのだろう。 それはそれで大切なことかもしれない。 おそらく本人たちは、そこで高尚な理想を追っているつもりなのだろう。 しかし、こんなことばかりに精を出している場合だろうか。 そうしているうちにも、クラスは乱れ、成績は落ち、生徒たちは非行に走っていく。
戦争をやる前から、あの国では大勢の国民が殺されていたというのに、この教職員組合は、そのことには言及せず、戦争という言葉にだけ意見する。 ということは、あの意見広告は「自殺はいいけど、殺人はだめだ」という解釈になる。 だから、学生の自殺が後を絶たないのか。
まあ、県教職員組合の人たちも、『反戦』が飯の種になると思っているアホな文化人や、『反戦』をイメージアップの手段にしているアホな芸能人と、何ら変わらないということだろう。
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