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2003年04月10日(木) 異質の女 後編

一度、ぼくはその女に「何かしたいことがあるんやないと?」と聞いたことがある。
その時、女は「歌手になりたい」と言った。
「歌手? じゃあちょっと歌ってみてん」
女は中森明菜の『DESIRE』を歌い出した。
ところが、下手だった。
「歌手はあきらめたほうがいいんやないと」
「何で?」
「何で、と言われてもねえ」
「歌手がだめなら、何か仕事探して」
「じゃあ探してやるけ、『B'ing』か『求人案内』買って来てん」

翌日、女は『求人案内』を持ってきた。
ページをめくっていると『新卒者特集』のところに、地場では有名な会社が載っていた。
「あ、ここがいいやん」
「どれ?」
「H社」
「H社とか知らん」
「知らん? あんな有名なところを知らんと?」
「だって知らんもん」
「まあ、知らんでもいいけ、とにかくここ受けてみてん」

さっそく女は、H社に面接を受けに行った。
数日後、採用通知が来た。
その後、女はアルバイトを辞めて、H社に入社した。
仕事の内容は受付だった。
たまにうちに来て、「あたしの他は、みんな高卒やけ話が合わん」とこぼしていた。

それから2ヶ月ほどしてのこと。
女は突然ぼくの横にいた。
「にいちゃん、あたし辞めたっちゃ」
「は? 辞めた?!」
「うん」
「何で辞めたんか?」
「何となく」
「何となくだけで辞めるか、普通」
「何となくやけ、何となくなんよ!」
女は逆ギレした。
この女、激昂すると顔つきが変わる。
「今辞めてどうするんか。そんなに就職ないやろ」
「にいちゃんには関係ないやろ! もう、いいもん。働かんけ」
と言いながらも、数週間後に、またうちの店のアルバイトとして復帰していた。

ところが、その頃から女の行動がおかしくなった。
頻繁にぼくの売場に来るようになったのだ。
かといって、何かをしゃべるわけではない。
たまに聞きもしない飼い犬の話をするくらいで、それ以外は何も言わず、ただ売場に立っているだけだった。
周りの人も、「あの子、ちょっとおかしいんやない」とささやき始め、「しんたさんが相手にするけ、来るんよ」と言い出す始末だった。

だんだんぼくも気味が悪くなってきて、その女との距離を置くことにした。
それでも、女は毎時間、ぼくの売場に現れた。
相変わらず売場に来ても立っているだけである。
ぼくはそのうちうんざりしてきた。
「お前、いい加減に戻らんと、お前の売場の人に怒られるぞ」
「怒られんもん」
「もういいけ、ここに来るな」
「あたし、何も悪いことしてないもん」
その問答の繰り返しが始まった。

しばらくして、女はうちの店のアルバイトを辞め、ある大手の量販店でアルバイトを始めた。
おかげで、頻繁に売場に来ることだけはなくなった。
が、休みのたびに顔を見せに来た。
「お前、他に何か楽しみはないんか?」と聞くと、「あるわけないやん」である。
「友だちとドライブに行ったりとかせんのか?」と聞くと、「そんな友だち、おらんもん」である。
相手をするのが馬鹿らしく思えたものだった。

その後ぼくは転勤になった。
そのことを、女には教えなかった。
ところが、前の店の人に「居場所を教えるな」というのを忘れていた。
そのせいで、今度は新しい店に顔を見せるようになった。
来たら帰らない。
ひどい時には、昼間に来てから、閉店時間までいたこともある。
さすがに新しい店でも、その女はおかしいと思ったらしく、女の顔を見かけると、ぼくに教えてくれるようになった。
ある日、食事に行っている時に電話が入った。
「しんたさん、今来てますよ。出てこないほうがいいですよ」
おかげでその日は、食事時間を2時間も取ってしまった。

そのうち店の人たちが、「しんたさんがストーカーにあってるらしい」と噂しだした。
これ以上女に関わりたくないと思ったぼくは、女が来た時に言った。
「お前、もう二度とこの店に来るな!」
「何で? あたし何も悪いことしてないもん」
「お前のこと、店の人はストーカーと噂しよるぞ」
「ストーカーじゃないもん。買い物に来よるだけやもん」
「じゃあ、買ったら、ここに来んでサッサと帰ったらいいやないか」
「にいちゃんが寂しいやろうと思って」
「とにかく、もう来るな!」
と、ぼくが強い口調で言うと、女は怒って帰っていった。
しかし、それが功を奏したのか、女が店に来ることはなくなった。

その後、しばらくその女のことを忘れていた。
ところが、1ヶ月ほど前、前の店に振替商品を取りに行った時のことだった。
恐ろしいことを聞いた。
「しんたさん、あの女、またここで勤めだしたんよ」
「えっ…」
ぼくは言葉を失った。
会えば、またあの訳のわからない女と、訳のわからない問答を始めなければならない。
ぼくはそそくさと、その場を立ち去った。
その後、ぼくはその店には行っていない。


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