“久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ”(紀友則) 花はまだだが、まさに『光のどけき春の日』という一日だった。 風は少し冷たかったが、春の光はそれを打ち消していた。
今日は月例になっている、銀行回りの日だった。 午後から街に出て、各銀行を回った。 もろもろの支払いをすべてメインの福岡銀行にしておけば、別に給料日明けの休みの日に街に出なくてもいいのだが、いろいろと付き合いもあって、そう簡単にはいかない。 まあ、最近ぼくはあまり街に出なくなっているから、月に一度は街の空気に触れるのも悪いものではない。
いつもなら銀行を回った後で、本屋に立ち寄り、それからすぐに帰るのだが、今日はこの陽気に浮かれて久しぶりに街の探索をすることにした。 街の探索と言っても、メインの通りを歩くのではなく、裏町をぶらぶらと歩くのだ。 ぼくの裏町好きは、小学5年の春休みから続いている。 今はすっかり姿を消しているが、当時の裏町にはいくつかの古本屋があった。 そこには、一般の本屋にある、便意を催すような新しい紙やインクのにおいはなく、赤茶けた紙から発するかびくさいにおいが立ちこめていた。 ぼくはそのにおいが妙に好きだった。 まだ小学生だったにもかかわらず、このにおいを嗅ぐと、なぜか心が落ち着いたものだ。 それから8年後に東京に出るのだが、東京でもそのにおいに触れようとして、神田の古書街に足繁く通っていた。
裏町をぶらぶらと歩く。 春の光はこういう寂れた街にもやさしい。 当然のことではあるが、メインの通りに比べると、人通りは遙かに少ない。 こういう街には、目を怒らして歩いている人など一人もいない。 ただだらだらと、肩の力を抜いて歩いている。 それがまた、裏町の雰囲気を作っている。
裏町をぶらぶらした後で、駅前のデパートに立ち寄った。 そこで『京都展』をやっていたのだ。 今日が初日らしい。
京都展といえば、7,8年前までは毎年行っていた。 それは線香を買うためである。 ぼくは、毎年鼻の中にできものを作っているような鼻の弱い人間であるが、なぜかにおいだけには敏感である。 ちょっとしたにおいの違いならすぐにわかる。 そういう人間にとって何が一番辛いかと言えば、それは線香のにおいである。 特に飯時にやられるとたまらない。 飯がまずく感じる。 そういう理由で、においの少ない線香というものを、長い間探していたのだ。 ある時、何気なく立ち寄った京都展にそれは売っていた。 においが全くないわけではない。 しかし、そのにおいに違和感を感じないのだ。 元々生活の中にあったような、郷愁が漂うにおいである。 その線香を見つけてから何年かの間、ぼくは毎年そのデパートで行われている京都展に通い続けた。
今日久しぶりに京都展を覗いてみると、裏町とはうってかわってすごい人だかりだった。 それもそのはず、「当地では7年ぶりの開催です」と係の人が言っていた。 なるほど、ぼくが京都展に通わなくなった時期と重なる。 その間、みんな待っていたのだろう。 ぼくは、他のものには目をくれず、その線香の売っているところに行った。 そこでお目当ての線香を買い求め、その喧噪の中を立ち去った。
午後4時を過ぎていたが、さすがにまだ日は高い。 ぼくは車を止めてある駐車場に向かって、光のどけき春を堪能しながらゆっくりと歩いて行った。
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