| 2003年03月04日(火) |
出張の思い出 その2 |
広島に着いたのは、昼前だった。 とにかく初めての土地なので、右も左もわからない。 「八丁堀の次に紙屋町という電停があるから、そこで降りたらいい。そごうがあってその横に広島球場があるからすぐにわかるよ」 上司から言われたとおりに、駅から路面電車に乗った。 しばらくして八丁堀に着いた。 さあ次だ。 上司の言っていたように、そごうのマークが見えてきた。 なるほど、その向こうに広島球場のナイター照明塔が見える。 「ここが紙屋町か。わりと都会やん」と思いながら、ぼくは電車を降りた。
研修先はすぐにわかった。 店に入ると、男性従業員が一人いた。 「いらっしゃいませー」 噂に聞いたとおりだった。 お辞儀の角度が45度になっている。 ぼくもこれをさせられるのかと思うと、気が重くなった。 「あのう…」 「はいっ!」 「北九州から来たんですが」 「ああ、聞いてます。たしか、しんたさんでしたね」 「はい」 「今日からですね。よろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 「主任を呼びますので、ちょっとお待ち下さい」
少し間をおいて、店の奥から主任が出てきた。 「しんた君か」 「はい」 「ここの責任者をやっとるYじゃ。よろしゅう」 「よろしくお願いします」 「あんたんとこから、もう一人研修生が来とるで」 「あ、そうですか」 「ま、あんたも頑張りんさいよ」 初めて聞く、生の広島弁だった。
さて、もう一人の研修生というのは、ぼくが長崎屋でアルバイトをしていた頃の先輩だった。 ぼくは主任に挨拶をしてから、さっそく仕事についた。 ぞうきんを持って商品の掃除をしている時だった。 後ろから「お、しんたやないか」という声がした。 先輩のNさんだった。 「お前、どうしてここにおるんか」 「ここに行けと言われたけおるんよ」 「そうか。ここは厳しいぞ。長崎屋とはまったく違うけの。それだけは覚悟しとったほうがいいぞ」 「そう…。やっぱりね」 先ほどのお辞儀の角度といい、今のNさんの言葉といい、長崎屋にいた時に聞いた噂は、どうも本当らしい。 『こんなところで1ヶ月か…』 そう思うと、長崎屋を辞めるんじゃなかったという後悔の念がわいた。
仕事が終わり、終礼時に主任が言った。 「明日は早朝会議じゃけ、8時に集合」 おいでなすった。 さっそく早出の洗礼である。 ぼくとしては、会議などはどうでもよかったのだが、早出だけは勘弁してほしかった。 長崎屋にいる時は、9時半までに店に入ればよかったので、朝は8時半まで寝ていた。 8時といえば、10日前ならまだ布団の中にいる時間だった。 そんな時間に会議に行かなければならないとは。 まさに地獄である。
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