予告どおり、翌朝に書いている。 ぼくは小さい時から朝型の人間ではないので、こうやって、いわゆる朝と呼ばれる時間にパソコンの前に座っているのもけっこうきついものがある。 小学校の頃、夏休みの宿題にはよく「朝の涼しいうちにやりましょう」などと書いてあった。 もちろん朝型人間でないぼくは、やったことがない。 夏休みの朝、それは宿題やラジオ体操のためにあるものではない。 ぼくにとってそれは、寝るためにあるものだった。 前の晩に夜更かしし、翌日は9時10時に起き出し、テレビで『夏休みマンガまつり』などを見る毎日だった。 登校日、早起きの辛かったことといったらなかった。 で、宿題はいつやるか? 当然8月末にならないとやらない。
冬休みもいっしょだった。 昔は今よりも寒かった。 また暖房設備も今のように発達しておらず、火鉢とこたつくらいしか家になかったので、どうしても布団に執着する毎日を送るようになる。 そのため、夏休みよりも始末が悪く、起き出すのはいつも昼前だった。
春休みにしても、代わり映えなく、暖かい分少し早く起きた程度である。 まあ、春休みの場合は、夏や冬と比べると精神的に楽な面があった。 夏休みや冬休みは、この世に宿題なんかないといった毎日を送っていたものの、潜在的には「宿題をやらなければならない」という一種の焦りのようなものがあった。 しかし、春休みには宿題がなかったので、その焦りはなかった。 ただ惜しむらくは、春休みは、休みの期間が短かった。 そのため、夏や冬とは違った焦りがあった。 「後何日したら、早起きをしなければならない」という焦りである。
『早起きは三文の得』と言われるが、ぼくは早起きして得した覚えはない。 休みの日に遅くまで寝ていると、時間を損した気になることはあるが、早く起きたからといって決して得したという気にはならない。 眠い目をこすって嫌々起きるのに、何の得があるだろう。 布団の中という一種天国のようなところから、現実という娑婆、いや地獄に出なければならないのだ。 『早起きは三文の得』というのは、実は悪魔の言葉である。 文明の発達とともに夜更かしする人間が多くなった。 そのため悪魔は活動しにくくなってしまった。 「これは困ったことだ」と嘆いた悪魔は、一計を案じた。 欲張りな人間を見つけては、彼の耳元で「早起きすれば、儲かりまっせ」とささやくことにしたのだ。 ところが、世の中には実に欲張りな人間が多い。 一夜にして「早起きすれば、儲かりまっせ」という言葉が広まった。 この言葉をことわざ化するにあたって、「『儲かりまっせ』という表現はあんまりじゃないか」という意見が出たため、『早起きは三文の得』ということになったのだ。 有名なことわざだからといって、鵜呑みにしてはならない。 早起きする人間が多くなれば、その分悪魔が活動しやすくなるのだ。
ところで、先ほどちょっと外に出てみたのだが、実にすがすがしい朝である。 少し肌寒くはあるが、それが妙に心地よい。 今日は午後から曇りという予報が出ているものの、今のところは雲一つない青空が広がっている。 今日はきっと悪魔にささやかれている日なのだろう。 何か得したような気がする。
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