小学校に行っていた頃、ぼくは宿題をいつも午後9時頃から始めていた。 「あんた、まだ宿題やってなかったんね。学校から帰ってすぐに宿題をすれば、後でゆっくり遊べるのに、何で早くせんとね」 当時母からよく言われた言葉である。 しかし、それは出来なかった。 なぜか? それは、学校から帰ってから9時までが、ぼくのゴールデンタイムだったからだ。 帰ってからすぐというのは、友だちと遊ぶためのゴールデンタイムである。 友だちと遊んだ後の時間というのは、テレビでマンガをやるゴールデンタイムである。 風呂に入る、飯を食う、9時頃までダラダラとテレビを見る、というのは生活のゴールデンタイムである。 その間、宿題をやる時間というのはどこにもなかったのだ。
小学生の頃に一番嫌いだった宿題は、漢字の書き取りである。 この宿題が出ると泣きそうになったものだ。 しかし、今考えてみると、あんな簡単な宿題はなかった。 何せ、頭を使わなくていい。 ただ同じ漢字を10字とか20字とか書いていけば、それで終わりなのである。 では、そんな簡単なものが何で嫌いだったのか? それは、書くペースが人よりも遅かったからである。 ぼくに手作業をさせると、とにかく遅い。 図工・習字・技術・家庭科などは、いつもろくな点数をもらえなかった。 その理由は、作品を作るのが遅かったからだ。 ほとんど時間内でやりあげたことはなかった。 そのため提出するのはいつも未完成作品で、提出しないこともままあった。 そういう理由から、午後9時から始めた漢字の宿題が終わるのは、だいたい11時を過ぎだった。 おかげでぼくは、小学生の頃、既に寝不足に悩む人間だった。
苦手ではなかったが、面倒くさい宿題もあった。 算数の分数や小数点の計算である。 算数ドリルには、「これでもか」というくらい計算問題が載っていた。 計算は速かったが、おっちょこちょいだったのでポカが多かった。 そのため、検算という面倒な作業をしなくてはならない。 検算には時間がかかったものだ。 間違いを見つけると、また計算をやり直さなければならない。 これが嫌だった。 せっかく書いたものを、消しゴムで消すというのもむなしいものである。 また、最初の計算が正しくて、検算のほうが間違っている場合もあったが、その時の悔しさと言ったらなかった。 悔し紛れに消しゴムを投つけて、物を壊したことも一度や二度ではない。
たまには好きな宿題もあった。 社会科である。 ぼくの社会科に対する情熱は、並々ならぬものがあった。 趣味とも言ってよかった。 いまだになぜ社会科が好きだったのかはわからないが、おそらく一番現実味のある教科だったからだろう。 先生が通信簿に「他の授業の時は落ち着きがなくふざけてばかりいますが、社会科の時間だけはまるで人が違ったようになります。とにかく目の色が違います」と書いたほどだった。 それだけ好きだった社会科だから、宿題はすぐに終わった。 あまりにも早く終わるので、時間をもてあましてしまい、予習までやっていたものだ。
とはいえ、全般的にぼくは宿題というものが嫌いだった。 その後遺症か、今でも仕事を家に持ち込むことをしない。 前の会社で、よく上司から「家でやってこい」と言われていたが、決して家に持って帰るようなことはなかった。 何時になろうが、会社に残ってやったものだ。 今ならなおさらである。 もし、会社から宿題などを出されたら、この日記が書けなくなる。 そういえば、ぼくがもし日記を書く情熱をなくしたら、この日記もただの宿題になってしまう。 それだけは避けなくては…。
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