伊藤の車の助手席には『彼女以外乗車禁止』というステッカーが貼っている。 この間、ぼくが伊藤に「お前はバカか。 何か、あのステッカーは」と言うと、生意気にも伊藤は「当然じゃないですか。彼女以外の誰を乗せると言うんですか」と答える。 「じゃあ、一生誰も乗せられんやないか」とぼくが突っ込むと、伊藤は黙っていた。 その後、ぼくはこっそりと『彼女…』の写真を撮り、彼の部署のJ子にメールで送っておいた。
ところが、そのメールがちょっとした問題を起こすことになる。 昨日のこと、何と伊藤の助手席に女の子が乗っていたらしいのだ。 部署の子は、さっそく伊藤にメールを送った。 (しんたさんから写真を送ってもらったんですが、『彼女以外乗車禁止』ということはあの人は彼女ですか)
そして今日。 ぼくが食事をしていると、伊藤が入ってきた。 彼はぼくを見つけるなり、「しんたさん、J子さんに車の写真送ったでしょうが」と言う。 ぼくが「ああ、送ったよ。何かまずかったか」と聞くと、伊藤は「昨日、助手席に女の子を乗せてたのを、J子さんに見られたんですよねぇ。あんな写真送られたら、バレバレじゃないですか」と言った。 「それは彼女か?」 「まあ、いちおう…」 そう言って、伊藤は嬉しそうな顔をした。 彼は、彼女のことをぼくに話したがっているように見えた。 そこで、ぼくはわざとはずしてやった。 「ふーん、よかったやん」 「ええ、まあ…」 「ところで、お前いくつ?」 「え? 今年22歳ですけど…」 「22歳か。小便恋愛やのう」 「え、小便恋愛なんですか?」 「どうせ、またすぐふられるんやろうが」 「いや、今度は…」 「まあ、小便恋愛なんかに興味ないし、別にお前が誰とつき合おうと、おれは気にならんわい」 「はあ、そうですか」 伊藤が答えた後で、ぼくは一呼吸置き無表情に言った。 「で、相手は誰なんか?」 伊藤はあ然とした顔をし、急に笑い出した。 「何がおかしいんか」 「いや、あまりにしんたさんが真顔で言うもんで」 「そうかのう。で、相手はバイトか?」 「はい」 「誰かのう」 「しんたさん、昨日最後までいましたかねえ?」 「ああ、おったよ。あの中におるんか」 「はい」 「M君か?」 「男じゃないですかぁ」 「そうよ」 「…『そうよ』って、ぼくにそんな趣味があるように見えますか?」 「おう」 「ホントにもう…。ぼくはまともです」 「そうなんか」
「ところで、お前の妹は元気か?」 「えっ、妹ですか?」 彼はもっと彼女のことを聞いてほしかったようだが、ぼくが突然彼の妹の話をしだしたので、ちょっと戸惑ったようだった。 彼の妹も、以前うちの店でアルバイトをしていたことがある。 「妹は元気にしてますよ」 「あの子、かわいかったのう。『YAWARA!』に出てくるキョンキョンみたいやった」 「キョンキョン…? 知らないなあ。最近、妹はまた男を変えてですねぇ…」 「で、お前の相手は誰なん?」 「あ、またその話ですか」 伊藤はそう言いながらも、嬉しそうな顔をした。 「もしかして、N子か?」 「N子は、妹と同い年ですよ」 「そうそう、お前の妹は、前に酔っぱらったことがあってのう」 「妹がですか?」 「おう。あの時は大変やったわい」 伊藤は(また妹の話か)と、ちょっとがっかりした顔をした。 そうこうしているうちに、伊藤の休憩時間は終わった。 結局、伊藤はぼくに彼女の名前を告げられなかった。 食事が終わって、店内で伊藤に会ったが、ぼくはわざと彼を無視していた。
実は、ぼくは今朝J子から伊藤のことを聞いて、彼女の名前を知っていたのだ。 伊藤が誰とつき合おうと、大したことではないのだが、彼をからかうには格好のネタになった。 ぼくは、当分の間、伊藤にそのことを触れないでおこうと思っている。 そうすれば、また彼が『伊藤君3』を提供してくれることだろう。
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