昨日は久しぶりに飲みに行った。 12月の忘年会以来である。 年末に風邪を引いてからは家でもあまり飲まなくなったから、少しの酒でもすぐに酔ってしまう。 普通の焼酎のお湯割りがえらく濃く感じたものだった。
さて、酒の席で、Hさんという人の話題が出た。 Hさんは、一昨年まで某大手企業で働いていたが、倒産の憂き目に会い、職を失ってしまった。 その後、失業保険をもらいながら職探しをしていると聞いていたが、50歳を超えたHさんには、就職先がなかなか見つからないということだった。 ぼくたちが「Hさん、大変やねえ」などと話していると、ある人が「何を言いよるんか」と言った。 「あの人凄いんぞ。おれ、あの人が会社を辞めてから、毎日パチンコ屋で会うんやけど、毎月の稼ぎが30万を下らんらしいぞ」 「何しよると?」 「だけ、パチンコ」 「パチンコで? でも、波があるやろうもん。今までの平均で30万やないんね」 「いや、あの人には波はない!」 「じゃあ、毎月コンスタントに30万稼ぎよるということ?」 「おう」 「凄いねえ」 「それだけやないんよ。最近、また一段と凄くなってのう。いつも懐に6,70万は入っとるぞ」 「6,70万!?」 「おう、軍資金らしい。生活費の30万は別でぞ」 「でも、負ける時もあるんやろ?」 「おう。でも、あの人は3万負けたら、見切りつけてさっさと帰るけのう。でも、勝つ時が凄い。30分で10万円分くらいすぐにたまるけのう」 「へえ」 「あの人、博才があったんやのう」 「うん」 ぼくはよくわからないのだが、ここまで来ればプロと呼んでもいいのではないだろうか。
北九州市はギャンブルの街である。 市内には中央競馬場、競輪場(何とドームである)、競艇場といった公営ギャンブル場が揃っている。 中でも特記すべきは競艇場で、ご丁寧に隣の芦屋町にもある。 市内の若松ボートと隣の芦屋ボートの間は、10キロも離れてない 市内にはないものの、オートレース場も、ぼくの家から車で4,50分の飯塚市に行けばある。 また、ぼくの住んでいる地区には大きなパチンコ屋がいくつもあり、パチンコの街と呼ばれている。 ぼくはそういう街に生まれ育ったのだが、なぜかギャンブルには縁がない。 というより、興味がない。 馬券は東京にいた頃に一度だけ買ったことがあるが、それもつき合いで買っただけで、どんな馬がいるのかも知らなかった。 それ以外の競輪や競艇などは一度も券を買ったことがない。
とはいうものの、一度だけパチンコに凝ったことがある。 東京にいた時だ。 夕方になると、いつもぼくは仲間と新宿歌舞伎町のパチンコ屋に入り浸っていた。 パチンコのほうは1勝1敗といったところだが、何よりも仲間といることが楽しかった。 ある日のこと、丸井に用があり、パチンコ屋にバッグを置いたまま出かけた。 仲間がいたので安心していたのである。 ところが、30分ほどして戻ってくると、その鞄はなくなっていた。 中には、お気に入りの写真と、数編の自作詩が入っていた。 どちらももう二度とお目にかかれない。 また、それから数ヶ月後のこと、上着の胸のポケットの入れておいた財布がなくなっていた。 中には、定期券と丸井のカードと生活費2万円が入っていた。 一度も上着を脱いだ覚えはない。 パチンコ屋の中を歩き回った覚えもない。 座ったままスリにやられたのだ。 ぼくはその都度、歌舞伎町交番に被害届を出したのだが、結局どちらも出てこなかった。
また、こちらに戻ってからのことだった。 その日、仕事が早く終わった。 あまり早く帰るのも何だから、というので久しぶりにパチンコでもやってみようという気になった。 ところが、財布を見ると500円しか入ってない。 「じゃあ、バス賃だけ残して、300円だけしよう」ということで、パチンコを始めた。 3分と持たなかった。 「あと100円だけ」 しかし、結果は同じである。 「あと100円」 ついにぼくの財布は空になった。 しかたなく、ぼくは小倉から歩いて帰った。 2時間かかった。
そういった苦い出来事の積み重ねは、自然とぼくの足をパチンコ屋から遠ざかせた。 よく周りでギャンブルの話などをしているのを聞く。 どれも景気のいいものばかりである。 確かに、Hさんのように、短時間に何万ものお金を手に入れるというのは魅力ではある。 しかし、ぼくには出来ないことである。 自分に博才がないのを充分に自覚している。 勝った覚えがないから、イメージがわかない。 イメージがわかないことをやるほどの性根を、ぼくは持たない。 何よりも、ギャンブルが好きではない。 そのへんのところは、占いにも出ている。
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