『柔よく剛を制す』 ぼくはこの言葉を知って、柔道を始めた。 弱い者が強い者に勝てる方法があるのなら、ぜひ学んでおかねばならない、という好奇心から、ぼくは柔道を始めた。 だからぼくは自分から攻撃を仕掛けることは嫌いだった。 技も正当な攻撃技はあまり好きになれなかった。 どちらかというと、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」で、捨て身技を好んでやった。 だから相手が仕掛けてこない限り、ぼくの技は冴えなかった。 ぼくの柔道人生最後の試合は、全国大会(自由参加)の金鷲旗高校柔道大会だった。 その試合で、ポイントにはならなかったものの、100キロ近い男を捨て身技でひっくり返した。 当時のぼくの体重は62キロだった。 まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」である。 が、そのまま押さえ込まれ、結局は負けた。
『自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども吾れ往かん』 自分が間違ってないと思うのなら、人がどう言おうと、自分の信じる方向に歩いていく。 孟子の有名な言葉である。 就職して以来、威圧的な上司にたくさん出会った。 彼らは力ずくで、自分の意見に従わせようとする。 ぼくはそういうのが大嫌いだ。 そこで、彼らに流されないようにしようと思い、精神修養を始めた。 精神修養、ぼくの場合、それは中国思想の勉強であった。 20代から30代にかけて、とにかく中国の古典を読みまくった。 この言葉はその時に出会った。 かの吉田松陰は、獄中で孟子の講義をやっている。 おそらく、この言葉を教える時は、力が入っただろう。
『断じて敢行すれば、鬼神もこれを避く』 上の言葉に続いて、この言葉に出会った。 確かこれは、史記にある言葉だ。 前の会社にいた時、ぼくは「強気の男」で通っていた。 その強気はこの言葉によって養われた、と言っても過言ではない。 なるほど、断じて行えば誰も文句を言わないものである。 いまだに自分を曲げない偏屈な面がぼくにはあるが、それはおそらく上記の孟子の言葉とこの言葉の影響だろう。
『ただ一灯を頼め』 江戸時代の儒学者、佐藤一斎の有名な言葉である。 全文を紹介すると「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うるなかれ、だた一灯を頼め」となる。 確固たる自分を持つことが肝要だということだ。 確固たる自分を確立しておけば、決して人に流されることはない。 前の会社にいた時、「強気の男」で通っていたぼくだったが、その反面、風当たりは強かった。 左遷の憂き目にあったこともある。 この言葉に出会ったのはそういう時だった。 ぼくはこの言葉に出会う運命を持っていたことを、素直に喜んだものである。 くじけそうになった時、何度この言葉に助けられただろう。 そのおかげで、自分を見失うことなくやることができた。 そうこうしていると、自然に評価が好転してきた。 彼らは「しんたは変わった」と言っていたが、ぼくが変わったのではない。 変わったのは彼らのぼくを見る目だった。
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