| 2003年02月19日(水) |
たまに聴いてみたくなる懐かしい声 |
毎日でもその歌を聴いてみたいというほどでもないのだが、たまに聴いてみたくなる懐かしい声がある。 ぼくの場合、それはボブ・ディランである。 曲がとりわけていいとは思わない。 詩は何を言っているのか、さっぱりわからない。 肝心の彼の歌声はというと、決して洗練されたものではない。 どちらかというと野暮ったい。 しかし、その野暮ったさが味となっている。 時に優しく、時に怒っているように聞こえる彼の歌は、時にぼくの心をいやしてくれる。
ぼくがボブ・ディランを知ったのは中学3年の時で、あのガロの歌った『学生街の喫茶店』を聴いてからだった。 「ボブ・ディランとは何者?」という疑問を抱いたが、ぼくの周りにはボブ・ディランのことを知っている者はいなかった。 ぼくとしても、それほど興味を持ったわけではなかった。 例えば、キダムのCMで「象は出ないの」と言っているのは「辻か?加護か?」くらいの軽い疑問で、別に知らなくてもどうということはなかった。
ところが高校に入ってから事情が変わってくる。 高校1年の時、『たくろうオンステージ第2集』というアルバムを聴いた時、なぜか引っかかるものがあった。 そのアルバムのトップに『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という歌があるのだが、そのメロディはボブ・ディランの『ハッティ・キャロルの寂しい死』だと拓郎が言っていた。 またその歌の歌詞の中に“その頃ぼくはボブ・ディランを知った”というフレーズが出てくる。 「ボブ・ディラン? そういえば前にも聞いたことがある名前だ。いったいどんな人なんだろう?」 この時初めて、ボブ・ディランという名前に興味を持った。 さっそくぼくはレコード屋に走った。 そのレコード屋にはそれほど多くディランのLPを置いてなかったのだが、それでも拓郎の言っていた『ハッティ・キャロルの寂しい死』の入ったアルバムはあった。
『時代は変わる』というアルバムだった。 ジャケットはモノクロで、一人の疲れたおっさんが写っている。 「もしかして、これがボブ・ディラン? ガロや拓郎はこんなおっさんに夢中になっていたのか」 そう思いつつ、ぼくはそのレコードを買った。 家に帰り、レコードに針を落としてみた。 「何か、この声は!」 これがディランの歌を初めて聴いた時の、ぼくの第一印象である。 アルバム全体を覆うけだるさ。 どちらかというと暗い曲調。 はっきり言って何も感動しなかった。 こんなレコード買わなければよかったとも思った。
次の日、何となくまたそのアルバムを聴いてみた。 その日は2度聴いた。 しかし、やはり何も感動しない。 相変わらず「こんなののどこがいいんだろう」と思っていた。 ところが、レコードを買って3日目の朝のこと。 無性にディランが聴きたくなったのだ。 さっそく、レコードをかけた。 それまで、けだるいとか暗いとか思っていた歌が、やけに新鮮に聞こえる。 耳障りなディランの声も、その日は心地よいものに思えた。 ディランの何かに触れた瞬間だった。
それから30年近く経つ。 あのアルバムのおっさんはやはりディランで、ただ写真写りでああなっただけだというのが判明した。 実際のディランは、もっとかっこいいこともわかった。 ディランに、かなり入れ込んだ時期もある。 そのファッションを真似たこともある。 コンサートを見に行ったこともある。 そして今、ぼくにとってのディランは、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」である。 ということで、今日は「たまに聴いてみたくなった」ので、ディランを聴いた。
最近、高校の頃に触れた「ディランの何か」について考えることがよくある。 あれはいったい何だったのだろう。 相変わらず疑問は解決しないが、一つだけわかったことがある。 それは、あの時ぼくの耳がディランの声に慣れた、ということである。 まあ、それはそうだろう。 もし慣れていなかったら、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」などとは言わないだろうから。
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