漂流していたゴムボートを助けたことから、すべては始まった。 ゴムボートの乗務員を家に泊め、手厚くもてなした。 翌朝、彼らはぼくの部屋にやってきて、「ぜひお礼がしたい」と言った。 ぼくは「別にそんなことしなくていいですよ」と言って断ったのだが、彼らは聞かない。 「そう言わずにいっしょに来て下さい」 彼らはそう言いながら、ぼくを無理矢理外に連れ出した。 「こちらです」 そこには、昨日漂流していたゴムボートがあった。 「どうぞ、お乗り下さい」 彼らは、ぼくをゴムボートに乗せた。
ゴムボートは沖に出た。 「いったい、どこに行くのですか?」と、ぼくは訪ねた。 「とってもいいところですよ」 乗務員は4人だった。 顔は日本人とそっくりであるが、雰囲気が日本人のそれではない。 そういえば、ぼくに話しかけるのは、いつも同じ男だ。 どうも他の男たちは日本語が話せないようだ。 ぼくが一言言うたびに、例の男が通訳している。 聞いたことのない言葉である。
さて、ゴムボートに乗って小一時間たった頃だろうか。 向こうに見えていた漁船らしきものが、ゴムボートに近づいてきた。 ゴムボートにあと30メートル位の位置に近づいた時、その船の名前を確認することが出来た。 『竜宮丸』と書いてある。 それにしても古びた漁船である。 日本ならおそらく廃船になっているだろう。
しばらくすると、漁船から人が出てきた。 ゴムボートの乗務員と何か言葉を交わしている。 もちろん、何を言っているのかはわからない。 5分ほどして、漁船から縄ばしごが下りてきた。 例の男がぼくのところに来て、「さあ、お乗り下さい」と言った。 ぼくは言われるままに、縄ばしごを登った。
何時間かがたった。 船はある港に着いた。 船を下りたぼくたちは、近くの駅から汽車に乗った。 また何時間かが過ぎた。 「ここからはこれをして下さい」 例の男がぼくにアイマスクを手渡した。 そこから車に乗せられ、どこかに向かった。 道はでこぼこで、お世辞にも快適なドライブとは言えない。 しばらくすると、車は停まった。 そこからぼくは、手を引かれて歩いた。
10分ほど歩いただろうか、例の男の声がした。 「ちょっと痛いけど我慢して下さい」 彼はぼくの腕を取った。 一瞬チクッとしたが、しばらくすると、大変リラックスした気分になった。 「アイマスクをはずして下さい」 またしても彼の声。 アイマスクをはずすと、そこには小太りの作業服を着た男が立っていた。 「ようこそ、竜宮城へ。私はこの城の首領です。部下が大変お世話になったとか」
パーティが始まった。 舞台では、肌をあらわに出した女性たちが、艶めかしく踊っている。 「いかがですか。この女性たちを私どもは『喜び組』と呼んでいます」 「ほう」 「まあ、日本人のあなたにとっては物足りないでしょうが」 「いえいえ、そんなことはありませんよ」 酒もうまいし、食べ物もうまい、おまけに姉ちゃんもきれいときている。 それにしても気分がいい。 もしかしたら、あの「チクッ」と関係あるのだろうか。 まあ、そんなこと気にしないでおこう。
飲めや歌えやの毎日である。 起きている時は、いつも首領主催のパーティである。 フカフカのベッドが用意されて、美女がマッサージしてくれる。 中でも一番効くのが、あの「チクッ」である。 あれをやると、天にも登る気分になる。 ここは楽園だ。 おそらく世界中探しても、これほどのところはないだろう。 まさに「地上の楽園」である。
しかし、ここに来て何日たつのだろう。 できたらここに留まりたいのだが、そうばかりも言っておれない。 家に帰れば、仕事が山ほどたまっている。 そこでぼくは首領に言った。 「首領様、いつも身に余るもてなしを受け、大変光栄に思っています。 ところで、もうそろそろ家のほうに帰らせて頂きたいのですが」 「何をおっしゃる。私は、あなたにずっとここにいてもらうつもりです」 「そうは言いましても、私には仕事があります」 「どうしても帰りたいのですか」 「はい」 「そうですか。では、お返しすることにしましょう。ただ一つ条件があります」 「何でしょう」 「ここで見たことは、決して口外してはなりません」 「わかりました」
首領は帰りにおみやげをくれた。 小さな箱だった。 しかし、彼は変なことを言った。 「この箱を開けてはいけません」 「…はあ」
ぼくはまた例の男たちに連れられて、来た道を戻っていった。 2日目にゴムボートに乗った場所に着いた。 「さあ、早く帰って仕事をしよう」 ところが、家がない。 街の風景も変わってしまっている。 いったいどうなっているんだ。 通行人に聞いてみた。 「ああ、あの家ね。昔あの家の人が、どこかの国に拉致されたとか言ってたなあ。その後、幽霊屋敷などと呼ばれるようになって、みんな気味悪がって近づかなくなった。で、結局取り壊されたみたい。ところで、おたく誰?」 家はない、周りは知らない人ばかり。 ぼくは落胆した。 やけになり、首領からもらった箱を開けてみた。 すると、そこには鏡が入っていた。 目を疑った。 頭は真っ白、頬はこけ、目の下に隈ができている。 そこに一人の警官がやってきた。 「市民から通報がありまして」と言いながら、彼はぼくの袖をめくった。 「やっぱり」 「え?」 「ちょっと署までご同行願いましょう」 「何なんですか?」 「何だ、この注射の跡は?」 「え?」 ぼくは警察に連行された。
『浦島太郎』、本当はこんな話だったのかもしれない。
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