ぼくの家に金色の正観音像がある。 掃除をしないので、ほこりまみれになっている。 たまに手を合わせている。 ぼくの信仰は、その程度のものである。 かつて、お経や禅の本を読んだことがあるが、それはあくまでも興味本位で読んでいただけであって、別にそういうものにのめり込んだわけではない。 神社や古いお寺に行くのが好きであるが、それはすがすがしい気持ちに浸りたいだけのことで、別に集会に集まったり、寄付したりするわけではない。 だいたいぼくは栄光ある孤立を望む人間だから、団体に属すとか、関わるとかいうことが大嫌いである。 だからこの先も、宗教団体に入ることはないだろうし、家の宗旨である浄土真宗の活動をするようなことは絶対ないだろう。 寄付も嫌だ。
かつて知り合いに宗教団体Sに入っている人がいたが、活動が大変だと言っていた。 入信の勧誘、新聞の勧誘、選挙の時は電話をしていたし、選挙当日にはご丁寧にも投票所に送り迎えまでしていた。 何もそこまでして、宗教団体Sにのめり込まなくてもよさそうなものである。 しかし彼に言わせれば、それが功徳になるのだという。 その後彼の勤め先は潰れたというが、彼は功徳を積んでいるから、そういう逆境もなんのその、さぞ今はいい暮らしをしていることだろう。
ところで、ぼくがまだJRで通勤している頃、よく駅前で宗教の勧誘をしている人を見かけた。 ぼくも何度か声をかけられたことがある。 「あなたの幸せと健康と祈らせて下さい」 見るからに胡散臭い男で、目は完全にイッていた。 「ぼくは幸せで健康です」 そう言っていつも断っていた。
ある時は、「私がお祈りすると、観音様の三大パワーであなたは幸せになります」と言って来る人もいた。 ぼくが意地悪く「三大パワーって何ですか? 観音経にはそんなことは書いてないけど、何のお経にそういうことを書いてましたか? ぜひ読んでみたい」と言うと、その人は相手が悪いと思ったか、「失礼しました」と言い、クルッと背中を向け別の場所に移動した。
伯母にもそういう経験があるという。 ぼくの時と同じように、観音様の三大パワーを説き、「あなたの幸せと健康を祈らせて下さい」と言ったという。 それを聞いて伯母は「へえ、観音様ですか。それはありがたい。どうぞお祈り下さいませ」と言った。 すると、その人は手を伯母の額の上にかざした。 約5分。 その間、伯母は何をやっていたかというと、その手をかざした人に手を合わせ、「マーカーハンニャーハーラー…」と般若心経を唱えていたという。 伯母を相手にした人は戸惑っただろう。 まさかこんな状況になるとは思ってもいなかったはずだ。 しかし、祈り始めたからには止めるわけもいかず…。 その状況を想像しただけでもおかしいものがある。
人に聞くと、あれも新興宗教の一種だという。 ああすることで、その人は功徳を積むのだという。 しかし、知らない人から突然声をかけられるというのは、気味が悪いものである。 はっきり言って迷惑である。 そういう迷惑を実践して、何の功徳が積めるというのだろう。 迷惑に迷惑を重ねるだけの話じゃないか。 もし仮に、そういう行為をぼくの友人がぼくに対してしたとしたら、確実にぼくはその友人を友だちリストから外すだろう。 そして『アホバカ列伝』で紹介するだろう。
まあ、憲法で信教の自由が保証されていることだし、別に誰がどの宗教をやっているからといって文句を言うつもりはない。 「どうぞ、御勝手に」である。 しかし、ぼくには関わらないで欲しい。
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