午後5時を過ぎた頃、電話がかかってきた。 「あのう、昼間ビデオを買った者ですが」 そういえば昼間、年配の夫婦がビデオデッキを買って行った。 電話はそのご主人からだった。 「ああ、さっきのお客さんですね。どうされましたか?」 「いや、持って帰ってから繋いでみたけど、映らんのよねえ」 「え、映らない?」 「はあ、もう何時間もかかりっきりなんやけど。家に来て繋いでもらえませんか」 「いいですけど、いつがいいですか?」 「出来たら、今から来て欲しいんですが」 今日は全員出勤なので、ぼく一人抜けたくらいでなんということはない。 「わかりました。じゃあ、今から行きます。ご住所はどちらでしょう?」 ぼくは住所を聞き出し、さっそくお客さんの家に向かった。
お客さんの家まで行くと、奥さんが玄関の前に立っていた。 「お忙しいのにすいません」 「いいえ」 「さっきから主人が悪戦苦闘してましてねえ」 「そうですか」 「ま、お上がり下さい」 家に上がってみると、なるほどご主人は悪戦苦闘している様子だった。 ビデオデッキの取扱説明書はもちろんのこと、テレビの説明書まで広げていた。
「こんにちは」 「ああ、すいませんねえ。これだけやってもだめということは、ビデオがおかしいんやないやろうか」 「ちょっと見せて下さい」 なるほどこれでは映らない。 ビデオの入力と出力を間違えて繋いでいたのだ。 繋ぎ直すと、何とか声が出るようになった。 しかし、画が出ない。 今度はテレビの裏を見てみた。 映像入力にピンが刺さってない。 で、ピンを差し込むと画像が出てきた。
「リモコンも効かないんですけど」 いったいこのおっさんは何を触ったのだろう。 リモコンモードが変わっている。 リモコンモードなど、普通の人はめったに触らない場所である。 ぼくは、リモコンモードを元に戻し、最後に無茶苦茶になっていたチャンネルを合わせた。 「これで大丈夫です」 「ああ、すいません。助かりました」
「じゃあ、何かありましたら、また連絡して下さい」と言って、ぼくが帰ろうとすると、奥さんが「にいちゃん、ちょっと待って」と言う。 何だろうと思って待っていると、奥さんはビニール袋にビールやミカンを詰めだした。 「にいちゃん、これ持って帰って」 「いや、いいですよ。そんなことしないで下さい」 「忙しい時間にわざわざ来てもらったのに、手ぶらで帰らせるわけはいかん。ね、にいちゃん持って帰って」 ぼくが困った顔をしていると、ご主人が口を挟んだ。 「こら、“にいちゃん”とか失礼やないか!」 「だって、“にいちゃん”やん。何と呼んだらいいんね」 ご主人は、一呼吸置いて言った。 「“おじさん”と言いなさい」 「“おじさん”じゃないでしょ!」 「じゃあ、何と呼ぶんか」 「“にいちゃん”でしょうが」 「だから、それは失礼だと言いよるやないか。“おじさん”やろうが」 このまま夫婦の論争につき合うのも面倒なので、「じゃあ、もらっていきます。ありがとうございました」と言って、さっさとその家を出た。
そのお客さんが今度店に来た時、ぼくのことを果たして何と呼ぶのだろうか。 ぼくとしては、“にいちゃん”と呼んでもらいたいのだが。
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