今日は節分。 明日立春から沈丁花の匂う頃までが、ぼくの一番好きな季節である。 まだまだ吹く風は冷たいが、その中に何かほの暖かいものを感じる。
毎年この時期に楽しみにしていることがある。 それは観梅である。 県内に梅の名所はいろいろあるが、その中でも一番好きな場所が太宰府天満宮だ。 境内にある「お石茶屋」で、梅を見ながらやる一杯は格別なものがある。 最近は車で行くことが多くなったので、一杯の楽しみは失われたが、それでも古い歴史を持つ太宰府で、のんびりと風流に浸れることが嬉しい。
ぼくは昔から太宰府が好きで、よく行っている。 そのせいか、いろいろな想い出を持っている。 高校2年の時につき合った人と、最初で最後のデートの場所が太宰府だった。 ただ行って帰るだけのデートで、何も面白くなかったのを覚えている。
「その日太宰府は雨の中にあった ただいつもと違うことは傘が二つ 小さな梅の木はただ雨の中に そうやっていつも春を待つんだろう」
何となく白けたムードの中、ぼくはずっと『飛び梅』を見ていた。 そうしないとやりきれなかった。 「何でこの人とつき合ったんだろう」という思いが、ずっと心の中に渦巻いていた。
「騒ぎすぎた日々と別れるように 今日太宰府は雨の中にあった もう今までようなことはないような気がする あるとすれば次には君がいる」
そう、バカ騒ぎしていた時期だった。 怖いもの知らずだった。 そのバカ騒ぎの延長上に彼女がいた。 しかし、彼女とつき合いだしてから、日ごと募る思いがあった。 それは、1年の頃諦めたはずの人への思いである。 つき合いは長く続かなかった。
「ここまでだよ線路の行き着いたところは。−今までは行ってみたかった でも何だ、このいらだたしさは。−もう自由を失ったように思えて ぼくは列車を乗り間違えていたらしい。−そして君も ここには散ったばかりの花が。そして『私は見せ物じゃないよ』って そうだよここまでだ。ここでゲームは終わってるんだよ
もう帰ろうよ。さようなら」
授業中、ぼくは衝動に駆られてこんな詩を書いた。 そして休み時間、それを彼女の机の中に入れておいた。 太宰府に行ってから、2週間後のことだった。
そういえば高校3年の時も、浪人時代も、太宰府に行っている。 東京にいる時は、帰省するたびに太宰府に行っている。 こちらに帰ってからも毎年のように行っている。 考えてみると、ぼくの太宰府通いは、あのデートから始まったわけだ。 どの時期から風流を味わうようになったのかは覚えてないが、最初のデートの時でないことだけは確かだ。
さて、今年の太宰府行きはいつにしようか。 昨年行った時には、三分咲き程度だったので、今年は七,八分咲きの頃を狙って行こうと思っている。 おそらく今年は、車ではなく電車を利用して行くことになるだろう。 久しぶりに飲みたいからだ。 それまでに風邪を完全に治しておかなければならない。 それが問題である。
「悠久の 歴史を夢む 梅一輪」 おそまつ。
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