『朝日新聞、北朝鮮に叱られる』 今日の朝刊に、北朝鮮の労働新聞が、朝日新聞が「北朝鮮」という呼称を使うことにケチをつけた、という記事が載っていた。 そういえば、最近は以前のように「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」という呼称が使われなくなった。 そのほうが聞きやすいし、見やすい。 大韓民国を韓国、中華人民共和国を中国、中華民国を台湾と呼び慣わしているのだから、別に北朝鮮だけがそんなことで目くじらを立てなくてもいいと思うのだが。
しかしこの記事の面白さは、そんなところにあるのではない。 いろいろなマスコミが「北朝鮮」呼称を使っているのに、なぜ朝日だけにケチをつけるのか、という点にある。 この北朝鮮のコメントは、一マスコミに対しての非難ではなく、配下に対する一喝である。 以前は、帰国事業の片棒を担ぎ、拉致問題にも知らん顔し、テポドンが飛んできた時も「人工衛星の実験でよかった」とまで書いて胸をなで下ろし、金正日が拉致を認めた後も相変わらず北朝鮮擁護をし、北朝鮮のお抱え新聞やチョウニチ新聞とまで呼ばれた朝日である。 そう受け止められても仕方ないだろう。 北朝鮮の発言は、「今までいろいろと世話をしてやったのに、いい加減にしとけよ」というお叱りの言葉だったのか、はたまた「これまでどおりに擁護してくれよ」という意思の表れだったのか、そのへんはわからない。
『靖国神社参拝』 西日本新聞が、1月14日に小泉首相が靖国神社を参拝したのを受けて、市民の反応を調査したらしい。 以前なら、靖国絡みの話は「反対」「反発」意見が目立っていたらしいが、今回は「日本人として自然な行為」「当然」と受け止める意見が、批判の声を圧倒していたという。 記事は「日本人の国家観や安全保障への意識は、確実に変わりつつあると肌で感じる」と続き、最後に「新聞をつくる側もバランス感覚がいっそう問われる時代になった」と締めくくっている。 はっきりしない記事である。 だいたい、新聞というのは「始めに姿勢ありき」ではないのだろうか。 その姿勢を底辺に置いて展開するからこそ、その新聞の色も出てくるのだと思う。 読者や世論の意見でコロコロと姿勢を変えられたら、安心して読めないじゃないか。 せっかく「これは」と思って取りだした新聞なのだから、朝日みたいな優柔不断はやめて欲しいものである。
だいたい、靖国関係の記事は「昨日、首相が靖国神社に参拝しました」で終わればいいことであって、それにいろいろコメントをつける必要はない。 今日、ダイエーホークスが筥崎宮に必勝祈願をしに行ったが、それについて「神聖なスポーツに宗教を持ち込みやがって」などというコメントは一つも書いてない。 受験シーズンだが、太宰府天満宮に参る受験生の記事は出ているが、そこに「受験に宗教はいらない」というコメントはない。 なぜか。 それだけ、神社というものが生活に密着したものだからだ。
また戦犯についてもとやかく言われるが、それを言うなら出雲大社にも参ることが出来なくなる。 大和朝廷側から見れば、大国主命は戦犯なのだから。 戦犯とはあくまでも勝者側の見方に過ぎない。 そもそも東京裁判自体が無効だと言われているのに、戦犯も何もあったもんじゃないだろう。 もしそれでも戦犯を求めるとしたら、ぼくは蒋介石とルーズベルトと中国共産党を推挙する。 あの戦争は、彼らの思惑に日本が振り回された戦争だったからだ。
ま、ともあれ、首相は来年も靖国神社に参拝するということだから、やっとこれで日本も元通りになってきたなと思う。 あとは、野中や菅が首相にならないことを望むだけである。
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