長い間開けてなかった、古い書類入れがある。 今日何気なく開いてみたら、引き出しの一つに、その存在さえ忘れていた写真が入っていた。 量にすると100枚程度で、生まれて9ヶ月目のものから30代後半までのものが無造作に入れてある。 5歳頃の実家付近や、昭和40年代の小倉駅など、今となってはもう見ることの出来ない風景がそこにある。 また、ぼくの記憶の中には存在しない、ステージで弾き語りをやっている姿や、喜多方ラーメンの旅の記録がある。 つい懐かしくなって見入ってしまった。
写真を見ているうちに、一つの疑問がわいてきた。 それは、その中にある一番古い写真を見た時だった。 どこをどう見ても今の顔に結びつかないのだ。 今の顔に当時の面影が残ってないと言ってもいい。 まず顔の形が違う。 今のぼくの顔は、似顔絵のように長めの顔であるが、その写真の顔は丸顔に近い。 目が違う。 その後の写真を見るとどれも目が大きいのだが、その当時はかえって小さく感じる。 近々スキャナーが手に入る予定なので、そのうちこのサイトで、その写真を公開しようと思っている。 今のぼくを知る人は、おそらく別人だと思うだろう。
それにしても白黒写真の多いこと。 20歳ぐらいまでの写真は、もちろんカラーもあるのだが、圧倒的に白黒である。 そこにある一番古いカラー写真は6歳の頃のもので、それ以降高校2年までは白黒しか存在しない。 高校2年の時の写真は、夏休みに鹿児島・宮崎に行った時のものである。 その後20歳までの写真は、また白黒ものになっている。
ところで、そのカラー写真だが、意外なことに気がついた。 6歳の時の写真のほうが、高校2年つまり17歳の写真よりも質がいいのだ。 これはどういうわけだろうと考えていたが、ふと思い当たることがあった。 ぼくが17歳の時といえば、1974年である。 1974年といえば、オイルショックの翌年である。 オイルショックの時、何があったか。 そう、紙不足だ。 トイレットペーパーが、店頭からなくなっていた時期だ。 その影響は出版業界にも出ていた。 73年版の『ノストラダムスの大予言』という本をいまだ持っているのだが、その紙の質の悪いこと、ほとんどわら半紙状態である。 あの頃は、紙と名がつくもの、すべての質が悪かったのだ。 写真にも影響が出るのは当然である。
そう考えると、鹿児島写真は、その時代を反映しているということになる。 これは大きな発見だ。 ぼくは今まで自分の写っている写真を、白黒でしか残ってないとか、色が悪いなどという理由からあまり見ることはしなかった。 しかし、そういう質の悪い写真こそが、確かにあの時代に生きたという証である。 いわば勲章である。 そうやって見ると、ぼくはずいぶん勲章を持っていることになる。 これからは、そういった勲章の数々を、このサイトで紹介していくことにしよう。
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