スナックおのれ
毛。



 世の26歳女性諸君へ。

先に一言、付け加えておく。
私は、今、酒を飲んでいる。
だから、わけのわからないことを書くかもしれない。
いや、書くだろう。
その場合は、許して欲しい。
さっき、仕事から帰ってきたばかりだから。
(もう、やだ)
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唯川恵の「永遠の途中」を読んだ。

女には、ふたつの道がある。家庭に生きるか、仕事に生きるか。最近では、多くの人が仕事をしながら子育てをしている中で、少し時代錯誤な言い方かもしれない。結局は、どちらに自分の焦点をあわすか、ということなのだと思う。女には、その選択を考えるときがきっと来る。
今月で、私は26になる。けれど、身についた仕事といえば何もない。再就職しても、いくつまで働けるのか、その間に私自身がモノになるのか、そういう考えが頭を掠める。仕事に対して年齢でカウントダウンしてしまう、そんな選択の時期が私にも訪れ始めた。
家庭か、仕事か。選択できることは幸福なことだと思える人がうらやましく思う。特に男性は「良いじゃん、女なんだから結婚しちゃえば」と軽軽しく口にしてくれる。そんなに家庭の中に入ることは幸福なのか?ないものねだりは、本質をつかまえていないことが得てしてあるから、彼らの言葉は冷やかしに過ぎないのではないのか。
けれど、どうにも私は、家庭か仕事かという選択がうっとおしくてならない。26というのは、選択するとかしないとか考えず、ひとつしかない道に向かって、いいかげんまっすぐにあるって行きたい。男性の場合は、会社での地位もある程度上がってきて、10年20年先の自分が少し見通せる歳なのではないだろうか。

唯川恵の「永遠の途中」では、女の人生の決断をする歳が32歳になっていた。32歳。私には到底考えられもしない歳だ。いいかげんそのくらいになったら、腹をくくる必要がなければならないとも思う。そして、二人の主人公は、異なる道を歩き出している。

最近、私は、あせっている。どうにも、モノにならなかった仕事や今の食べるだけの仕事。次々と40年後の自分を想定して歩き始めた友人。いや、40年後じゃなくても良い。1年先、3年先、10年先。彼らは、未来の自分に焦点を定め始めた。私はどうしたいのだろう、どうあったら、幸福の高みをみれるのだろうか。刹那的に生きるには、私は健康すぎる。今、夢中になれる「仕事」を見つけてしまえば、私は一生、それに振り回されるだろう。けれど、それはとても幸福なことだろも思っている。
家庭のことを考えると、仕事を心配する。仕事のことを考えると、家庭を心配する。まだありもしないふたつの未来に振り回される自分がいる。今、私には伴侶と持つ家庭もないし、これで一生と思える仕事もない。そう考えてみると私は、なんにも自信の持てない自分に不安を覚えているだけなのかもしれない。「永遠」を感じられない手ぶらな自分に嫌気がさしているのかもしれない。

2003年06月10日(火)
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