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■ 何もしない一日から、濃密な人生へ。
今日という1日を振り返って。 午後2時30分:起床。脱北者のドキュメンタリーを見ながら、そうめんを食べる。 午後3時 :ドキュメンタリーが終了。後、なにげにビデオデッキに入っていたテープを(X面)見る。30分ほどで飽きて、野球中継をつける。 午後3時30分:いつのまにか、お昼寝 午後7時00分:お昼寝から、目覚める。もはやお昼寝の域を越えていることに驚愕。 その後、この間の録画していた「動物のお医者さん」を見る。(本当は、このビデオが見たかった) 午後8時00分:笑う犬のなんとかを見ながら、夕食。 午後9時00分:あるある大辞典を見るが、飽きて、なにかする。 そして、今:一日を振り返って、寝すぎの自分を反省。
何もしない一日は、早く過ぎ去ってしまって、いけない。一日が終わりに近づいたときにある「手ぶら感」、「喪失感」。どうも後味が悪くていけない。同じ一日でも、友達と遊びまくっていた人、仕事をしていた人、街をぶらぶらしていた人は、きっと濃密な一日を過ごしたことと思う。私も、今日という一日を何か得られるようにできたはずだとも思う。 いつか、どうでもよくすごしてしまっていた一日を恋しく思う日が来るのかもしれない。できれば、そう思えるような人生を過ごしたい。最後の最後で、遣り残したことがあるってのは、案外、幸せな人生を送った証拠でもあるように思う。後悔する人生が、密度の低い人生とは言いがたい。濃密だったからこそ、後悔することがあるに違いないと、私は思う。
2003年05月18日(日)
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