スナックおのれ
毛。



 嵐と演劇。

「嵐」が好きです。いえ、ジャニーズのじゃなくてね。(まあ、あれはあれで好きだけれど。)台風とかのことです。不謹慎かな、とも思いますが、叩きつけるような雨や傘がバフゥワッって、ひっくり返るほどの暴風とか、ちょっとしたイベントです。もちろん、私の嵐好きには、死ぬ羽目にあってないってのがあります。もし、身の回りの人や自分、またはたくさんの人が死んでしまうような事件があったら、いっぺんに嫌いになります。地震がそうでしたから。
ところで、嵐の前の静けさ、ってのは、実際にあるから不思議です。風は遠くの方でビョービョーなっていて、雲はいつもより頭上近くにたれこめ、ものすごい勢いで飛ばされていく。これから「嵐」が来るぞ、とんでもない気象状況になるぞってのを、景色がいっぺんに教えてくれます。いつもの街の騒音が、すべて雲に吸収されているようにも思います。まさに「嵐の前の静けさ」。その後の豹変した街の状況を思うと、少し心にも雲がかかる。すると、自分自身の心もしんと静まり返っていく。もしかしたら、「嵐の前の静けさ」の本質は人間の心の中にあるのかもしれません。
不思議なことに、私はこの「嵐の前の静けさ」の心境を別の場所でも感じることができます。それは、気象状況にもものともしない、劇場の中です。最近は、あまり見なくなってしまったのですが、ちょっと前まではよく演劇を見に行きました。私が見に行っていた公演には、宝塚などで使われているような緞帳はなく、入場すると、まず暗い舞台の中にぼんやりと舞台セットが目に入ってきます。席についてしばらくは、手渡された公演のチラシをみたりしているのですが、その間も目の前にある暗くてしんとした舞台が何か私に知らせるのです。それは嵐の前の静けさのように確実に「何か」が私の方へやってくるのを知らせます。
演劇と言うのは不思議なもので、ちょっと誰かの頭の中を覗いているような、そんな体験です。ダイレクトに私自身の頭に誰かの頭の中が伝染してくるような、そんな体験なのです。もちろん、「ああ、おもしろかったねぇ」ですむものもあります。けれど、私の見た多くが「なんじゃこりゃああ」でした。どう解釈していいものか、どう処理していいものか、頭の中がオーバーヒートを起こしてプッシュ−と煙が出てしまうような感じでした。
だから、私は暗くてしんとした人のない舞台、舞台セットだけが置かれた場所に「嵐の前の静けさ」を感じます。これから私の中に流れ込んでくるイメージ。何が繰るかわからない時に、どう臨戦体制をとっていいかわからないイメージ。演劇は「嵐」です。

2003年05月19日(月)
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