スナックおのれ
毛。



 ボランティアに見る、簡単な計算。

今日、7時くらいからやっていた芸能人がボランティアに参加すると言う番組を見ていて思いました。フジヤマに障害者を担いで登頂する、というアレです。本当ならば良い話のはずですが、なんだかどうも腑に落ちない。「辛かったけれど、何倍も感動しました」。いや、それでいいのか?もし、この番組をきっかけとして、「障害者と富士山に登ろうツアー」みたいなものができたら、それこそ間違いだと私は言いたい。
人の役にたつって、そりゃあ気持ちの良いもんです。「おばあちゃん、草、かっとくけんね」「すみませんねぇ。いつも」。お礼を言われて、心が晴れやか〜になれば、何度でもしたくなっちゃう。そんな気持ちもあります。可愛らしいもんです。地域社会の中学生とおばあちゃんのヒトコマです。ボランティアって、そんな小さいことではないんですか?お互いの生活を考えながら、出来る限りで助け合う、みたいな。助け合う、とまではいかなくとも、なんとなく気遣う、みたいな。それでいくと、富士登山
は行き過ぎではないですか。たとえば、それが障害者の家族や親戚一同で行われるようなものだったら、アリなのかもしれませんが、全く関係のない人が、その人の夢だからと言って安易に手を貸してしまう、それはどうなのですか、と。もしかしてその障害者は感動するための道具ではないですか、と。

ここで、問題です。
Q)もし、ボランティアから感動が抜けたら、どのくらいの人がボランティアに従事してくれるのでしょうか。

そもそも、そこにメスを入れるべきでないか、と思う。

2002年09月08日(日)
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