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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ ひばちゃま、あーちゃまと「平和」な休日
娘のたまが産まれた年の秋以来、一年半ぶりに、ダンナのおばあちゃんに会いにいく。娘のたまにとってはひいおばあちゃん。昨秋に101歳になり、たまとは年の差100歳。二人暮らしをしているダンナ父の76歳のお姉さんが「ひばちゃま、あーちゃまと呼ばれているの」というので、わたしもそう呼ばせていただくことに。

ひばちゃまは前に会ったときより少し小さくなった気がしたけれど、耳が遠いほかは元気。ゆったりとした動作ながら、自分で歩き、ケーキを食べ、コーヒーを飲み、たまを抱っこして「かわいこちゃんですねえ」と繰り返した。

一年半前に初めて会ったあーちゃまは、よく本を読み、よく映画を観る人で、わたしの仕事にもとても興味を持ってくれている。前回圧倒された旺盛な知的好奇心は衰えておらず、「ヒップホップってすごいわよね」「うちは二人とも後期(高齢者)よ」と朝ドラから時事ネタまで話題も豊富。大学で栄養学を学んだこと自体ハイカラな人である。前回は手作りクレープのおもてなしに感激したが、今回のシフォンケーキとパンプキンの絞り菓子もやさしく上品な甘みで、たまと奪い合っていただいた。

そのあーちゃまが、13歳で終戦を迎えた熊本での悲しい思い出を聞かせてくれた。家は戦災にはあわなかったものの家族八人が赤痢に感染。父は医師だったが、薬も注射も食料もなく、どうすることもできなかった。弟と祖母と妹が相次いで枕元で亡くなり、次は自分の番かと思っていた。長崎で被爆したお姉さんも亡くなった。あーちゃまは栄養失調でやせ衰え、髪をおさげに結んでも小筆の穂先ほどしかなく、やせたお尻がクッションにならず自転車の後ろに乗ると痛かったという。三人の子を戦争で失ったひばちゃまは、終戦後、食べ物が少しずつ出回るようになると、「亡くなった子供たちに食べさせてあげたかった」とよく泣いた。

「戦争反対!」とあーちゃまはきっぱり言った。わたしはあーちゃまとひばちゃまが味わい、ダンナ父も受け止めた苦しみの重さを思った。ダンナ父は昨年保育園の祖父母の会に参加した折に「ぼくらの時代は戦争で幼い命がずいぶん奪われた。クラスの子が全員そろって進級できる平和な時代はありがたい」といった話をしたそうで、今でも「あの話に感動しました」と保育士さんに声をかけられる。だけど、あーちゃまが語ってくれたような辛い過去をわたしは知らなかった。爆弾にも伝染病にも飢えにも怯えずお茶を楽しめる今は、わたしたちの前やその前の世代の人たちがたくさん傷ついた上にもたらされたものだ。たまをだっこするひばちゃまにビデオカメラを向けながら、大切にしなくてはと思った。今ある平和も、今ある家族も。

05月10日(土)
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