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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 解題 〜 文学よ、さらば 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001210
 
 四年前 (19960522)、本屋で一冊の自伝めいたものが目にとまった。
やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 KKベストセラーズ》
を手にとると、かつての自分のことが書かれている (P234 に引用)。
“京都のレコード屋で、チェロを弾くKさん”が、喫茶店をはじめたが
客が来ない(ここまでは正しい)。なぜか“Kさん”は、わずかな客の
前でチェロを演奏したという(?)。さらにアルバイトを頼んでおいて
給料が払えない(?)かわりに、ポンコツの車を差し出した、とある。
 話を面白くするために、記憶が前後することはあるとしても、アルバ
イトとポンコツとチェロは、もとは別々のエピソードである。非関連な
状況を組みかえて、愚鈍なキャラクターに描かれては許しがたい。
 さしたる悪意もなさそうな著者を叱ってみても、どうなるものではな
いが、しばし不愉快がつづく。しかしまた、自分のことが一行も書かれ
ていなかったら、もっと虚しい気分になるのではないか。
 そこで架空対談の形式で《くたばれ!たかじん》を書いてみた。実在
するが話したこともない人物を選んで対話する。状況設定は空想だが、
発言内容はすべて事実にもとづく。ついでに大阪弁と京都弁のちがいや、
下世話な表現なども(おおくは絶滅目前とみて)記録しておく。
 
 分子生物学の利根川進教授が、テレビ・シンポジウムでいわく、
「ある時ふと、誰かのことを思いだす。この現象はなにか?」
 ヒトに関する数々の不思議のなかで、最後の謎は“記憶”ではないか
という提言である。
 老人の昔話が若者を退屈させるのは、記憶に互換性がないためである。
その内容も出し入れするごとに修正されるのではないか。さらに疑えば、
数年前の自分は現在の自分と、かならずしも同一性はないらしい。
 そこで、過去の記憶を再確認するために、ほとんど会話のなかった人
にあてた書簡《ポール先生、さようなら》を書いてみた (P239) 。主に
高校時代の記憶をもとに《教え子の消息》の続編とする。さきの《くた
ばれ!たかじん》のように、実際に投函するかどうかはわからないが、
それぞれの記憶の発掘である。
 自伝の構想は、中学三年以来とだえることがなかった。
 文学的嗜好にとらわれず、従来のいかなる形式にもそぐわない手法を
めざし、数人の読者を想定しながら、なるべく六十歳ごろに完成したい
と考えていた。ようやく還暦をすぎて目標なかばに達したものの、その
形態は当初の予想とちがって、たえず未完成でありつづけるための工夫
がもとめられている。
 かくして長編文学の概念は過去のものとなり、紫式部やプルーストの
ように思うまま書きつづけたとしても、これに追随する読者は激減し、
やがて絶滅するのではないか。
 したがって、この分冊(IP-EX01)は、自伝資料の一部ではある
が、自伝そのものではない。
 
── 読売新聞社、NHK主催の、ノーベル賞受賞者を迎えてのフォー
ラム「21世紀への創造」東京第3セッション(11月18日、専修大学)
と札幌セッション(11月19日)に大江健三郎氏が参加。12月7日
付け読売新聞によると、東京第3セッションで大江氏は知識人を「他人
に対して寛容な人」と定義し「原発や環境など様々な問題に対して原理
原則を持ち、現実を見ていける人だ」と語り、不寛容なシステムへの反
対していく決意を語ったとのこと。札幌セッションの基調講演で大江氏
は、自身のウィリアム・ブレイクの、科学を賞賛しつつ疑いもする思想
を紹介し、「科学とは何か」を科学者と市民とが対話して考えていく必
要性を訴えた。また、立花隆氏の司会で、ノーベル生理学・医学賞受賞
者の利根川進氏と大江氏との対談も行われた。(19981212)
http://www.ops.dti.ne.jp/~kunio-i/personal/oe/oenews.html
── 読売新聞社&NHK主催《フォーラム「21世紀への創造」19981119 札幌》
 
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 Texts 〜 紙よ、さらば 〜

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12月10日(日)
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