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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 知られざる写真家 〜 マリオ・ジャコメッリの生と死 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001125
 
 マティスとルオー(往復書簡)「黒は色彩の主役だ」
── 《新日曜美術館 20080413(日)20:45〜21:00 NHK教育》
 ▽マリオ・ジャコメッリ展【司会】檀 ふみ/黒沢 保裕
 
 Giacomelli, Mario 写真 19250801 Italy 20001125 75 /印刷所経営
http://www.conversation.co.jp/schedule/mario_giacomelli/
 知られざる鬼才、マリオ・ジャコメッリ展 20080315-0506 東京都写真美術館
 
>>
 
 今、ジャコメッリを観ること
 
 1950年代から写真を撮り始め2000年にその生涯を閉じたイタリアの写
真家マリオ・ジャコメッリは、戦後の写真界を代表する写真家の一人で
す。その長い活動期間と欧米での高い評価に較べると、我が国において
知られることの少ない写真家と言えます。イタリア北東部のセニガリア
で生まれ、ほとんどの作品をその街で撮り続けたアマチュア写真家です。
まとまった展覧会としては日本初となる本展では、「ホスピス」「スカ
ンノ」「若き司祭たち」「大地」といった代表作のシリーズはもちろん、
最晩年のシリーズまでも網羅し、強烈なハイ・コントラストで「死」と
「生」に立ち向かい、孤高の写真表現で現実(リアル)を抽象した
「ジャコメッリの世界」をご紹介いたします。
 
 今、日本ではジャコメッリと同じ2000年に亡くなった植田正治や、そ
の2年後に亡くなった緑川洋一といった地方に根を下ろして作家活動を
行ったアマチュア写真家が見直されています。一地方に腰を据えた作風
はイメージを素早く作り消費しようと待ちかまえる都会的趣向にそぐわ
ない面がありました。じっくりと凝視を求める作風だと言えます。ジャ
コメッリの作品からは詩や絵画に近い語法を読み取られるかも知れませ
ん。そのように見えることもまた写真表現の持つ豊かさなのです。ぜひ
この機会に我が国では「知られざる写真界の巨人」であり、「黒」と「
白」とを見事に操り、内面に胚胎した思いを表現しつくしたジャコメッ
リの写真群をご鑑賞下さい。
 
 マリオ・ジャコメッリ展特別寄稿
 
 めぐる〈生の時〉と〈死の時〉──蠱惑する“閾”の風景 辺見 庸
 
 ジャコメッリの芸術は深い蠱惑の森である。薄明のなかを歩けども歩
けども果てなく、終わりかと想うと、目眩く光がふりそそぎ、新たな風
景がもうはじまっている。どこか「劫(こう)」にも似た、時間的継起
の失せた記憶の葉叢にかこまれるうちに、私たちの意識はいつしかめく
りかえされて、陶然と、あるいは慄然として立ちつくすほかなくなる。
人の記憶や幻想や惑乱をこのように結像させてみせることを、たんに
「写真」という言葉におきかえてよいものか、私にはいささかのためら
いがある。ジャコメッリの作品はおそらく、写真をこえてひろがる、他
のアートにくらべさらに心的で先験的な芸術にちがいない。彼はまた、
ここが肝心なところなのだが、たそがれゆく森の奥の底なし沼にも似た、
人間意識のあわいに浮きつ沈みつする、いわゆる「閾(いき)」の風景
をもとらえようとする。なんという大胆なこころみであろうか。こうし
た冒険はしばしば、文学や絵画で専権的になされてきたのだが、ジャコ
メッリは写真映像によりジャンルの垣根をなんなくこえて、詩以上に詩
的内面、絵画よりも絵画的深みを光の造形に植えつけた。たしかに、彼
の諸作品を写真ではなく映像詩などと同定するむきがあったとしても不
思議ではない。静止画像でありながら、見ようによっては、ゆるやかに
うごめく動画でもありうる。躰の外側の眺望であると同時に、私たちの
内奥の景色でもある。しかしながら、ジャコメッリの芸術を二十一世紀
現在の無機的分類法にそうて画然と位置づけようとしたところで、どん
な意味をもちえようか。彼の作品はすでにして写真をぬけでて、言語世
界にも着床し、さらにそこからもゆっくりと飛びたって、未生以前の風
景とはるかな未来、すなわち〈生の時〉と〈死の時〉をいま、いく度も

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11月25日(土)
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