ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1057496hit]

■ 知的生産の技術 目次
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690721
 Ex libris Web Library;知的生産の技術(P204)こざね法
[f:id:aedlib:20181109163050j:image:w240]
 

 まえがき
 
…… いっこうにすぐれた技術者ぶりを発揮しない著者が、とうとう本
ができるところまでたどりつくことができたのは、岩波書店編集部のみ
なさん、とくに田村 義也、浅見 いく子、小川 寿夫の諸氏のしんぼう
づよい応援のおかげである。しるして、感謝の意をあらわしたい。
 
    一九六九年 六月
                         梅棹 忠夫(vi)
 
 はじめに ………………………………………………………………………  1
 
>>
…… 学校はおしえすぎる  ある芸ごとの名人の言だということだが。つぎ
のようなことばをきいたことがある。「芸ごとのコツというものは、師匠から
おしえてもらうものではない。ぬすむものだ」というのである。おしえる側よ
りもならう側に、それだけの積極的意欲がなくては、なにごとも上達するもの
ではない、という意味であろう。
 芸ごとと学問とでは、事情のちがうところもあるが、まなぶ側の積極的意欲
が根本だという点では、まったくおなじだと、わたしはかんがえている。うけ
身では学問はできない。学問自分がするものであって、だれかにおしえてもら
うものではない。
 そういうことをかんがえると、いまの学校という制度は、学問や芸ごとをま
なぶには、かならずしも適当な施設とはいいにくい。今日、学校においては、
先生がおしえすぎるのである。親切に、あまりにも親切に、なんでもかでも、
おしえてしまうのである。そこで学生は、おしえてもらうことになれて、みず
からまなぶことをしらない、ということになってしまう。
 もし学校において、教師はできるだけおしえまいとし、学生はなんとかして
教師から知恵をうばいとってやろうとつとめる、そういうきびしい対立と抗争
関係が成立するならば、学校というものの教育的効果は、いまの何層倍かにも
のぼるのではないかと、わたしは想像している。
>
           1969ねん 6がつ 25にち
 たるみ みのる さま  
 
はいけい。
 おひつこしのおしらせ いただきました。
 
あたらしいおすまりができておめでとうございます。
つうきんがほんヒうにらくになつたでしょう。
わた」もながくおおさかづとめをしていました
ので、よく わかります。
 そのうちに に いちどおたずねしたいと 
おもっております。
  いずれ また。
 
             うめさお ただお 
 う/ふ
 
…… 手紙の用事というものは、分類してみると、そうやたらに種類のあるも
のではない。あるいは、おなじような用件がなんどでもめぐってくる。いちい
ちそのつど、真情吐露の名文をかいていたのではたまらぬから、型をきめるの
である。わたしは、自分用の文例カードを、いくつか用意している。これも、
例の京大型カードである。タイプラィターでうって、みだしをつけ、用件別に
整理してある。文章は、よくねってあるから、相手に失礼にあたるようなこと
はない。
 もう一歩すすめると、パラグラフ・システムになる。手紙の文章を、いくつ
かのパラグラフにばらして、それぞれについての模範的文例をカードにして用
意しておくのである。必要あるときには、はじめのあいさつはコード3、用件
のきりだしはコード8、用件の中心的部分はコード32、しめくくりはコード57、
というふうに、パラグラフをくっつけると、完全な文章ができあがる、という
しかけである。手紙技術の開発と洗練がもっとすすんでいたら、当然そういう
パラグラフ集が発売されていいのだが、いまのところ自分用のをつくるほかは
ないようだ。
 わたし自身は、手紙の技術については、かなり急進的な方式を採用している。
 タイプライターがきの手紙  それは、まえの章にかいた、ひらかなタイプ

[5]続きを読む

07月21日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る