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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 知的生産の技術 目次
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690721
Ex libris Web Library;知的生産の技術(P204)こざね法
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まえがき
…… いっこうにすぐれた技術者ぶりを発揮しない著者が、とうとう本
ができるところまでたどりつくことができたのは、岩波書店編集部のみ
なさん、とくに田村 義也、浅見 いく子、小川 寿夫の諸氏のしんぼう
づよい応援のおかげである。しるして、感謝の意をあらわしたい。
一九六九年 六月
梅棹 忠夫(vi)
はじめに ……………………………………………………………………… 1
>>
…… 学校はおしえすぎる ある芸ごとの名人の言だということだが。つぎ
のようなことばをきいたことがある。「芸ごとのコツというものは、師匠から
おしえてもらうものではない。ぬすむものだ」というのである。おしえる側よ
りもならう側に、それだけの積極的意欲がなくては、なにごとも上達するもの
ではない、という意味であろう。
芸ごとと学問とでは、事情のちがうところもあるが、まなぶ側の積極的意欲
が根本だという点では、まったくおなじだと、わたしはかんがえている。うけ
身では学問はできない。学問自分がするものであって、だれかにおしえてもら
うものではない。
そういうことをかんがえると、いまの学校という制度は、学問や芸ごとをま
なぶには、かならずしも適当な施設とはいいにくい。今日、学校においては、
先生がおしえすぎるのである。親切に、あまりにも親切に、なんでもかでも、
おしえてしまうのである。そこで学生は、おしえてもらうことになれて、みず
からまなぶことをしらない、ということになってしまう。
もし学校において、教師はできるだけおしえまいとし、学生はなんとかして
教師から知恵をうばいとってやろうとつとめる、そういうきびしい対立と抗争
関係が成立するならば、学校というものの教育的効果は、いまの何層倍かにも
のぼるのではないかと、わたしは想像している。
>
1969ねん 6がつ 25にち
たるみ みのる さま
はいけい。
おひつこしのおしらせ いただきました。
あたらしいおすまりができておめでとうございます。
つうきんがほんヒうにらくになつたでしょう。
わた」もながくおおさかづとめをしていました
ので、よく わかります。
そのうちに に いちどおたずねしたいと
おもっております。
いずれ また。
うめさお ただお
う/ふ
…… 手紙の用事というものは、分類してみると、そうやたらに種類のあるも
のではない。あるいは、おなじような用件がなんどでもめぐってくる。いちい
ちそのつど、真情吐露の名文をかいていたのではたまらぬから、型をきめるの
である。わたしは、自分用の文例カードを、いくつか用意している。これも、
例の京大型カードである。タイプラィターでうって、みだしをつけ、用件別に
整理してある。文章は、よくねってあるから、相手に失礼にあたるようなこと
はない。
もう一歩すすめると、パラグラフ・システムになる。手紙の文章を、いくつ
かのパラグラフにばらして、それぞれについての模範的文例をカードにして用
意しておくのである。必要あるときには、はじめのあいさつはコード3、用件
のきりだしはコード8、用件の中心的部分はコード32、しめくくりはコード57、
というふうに、パラグラフをくっつけると、完全な文章ができあがる、という
しかけである。手紙技術の開発と洗練がもっとすすんでいたら、当然そういう
パラグラフ集が発売されていいのだが、いまのところ自分用のをつくるほかは
ないようだ。
わたし自身は、手紙の技術については、かなり急進的な方式を採用している。
タイプライターがきの手紙 それは、まえの章にかいた、ひらかなタイプ
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07月21日(月)
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