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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 日本の弦楽四重奏談 @ 巌本 真理・黒沼 俊夫 両氏をたずねて
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690712
── 第6回音楽コンクールは たしか 1年延期したそうですね
巌本 そうです 支那事変でね ですから昭和13年に2度あったわけね
私はその12年度の方だったんです
── その時の課題曲はどんなものを
巌本 予選がタルティーニのソナタかベートーヴェンのロマンス 私は
タルティーニを選んで本選はブルッフのト短調でした
── その後クワルテットとしての分を含めて最近の芸術祭賞に至るま
で各種の授賞がたいへんな数にのぼりますね すこし調べてはみたので
すが いささか混乱の気味があるのです ひとつは わが国の出版界が
演奏家の紹介について不熱心なせいもあるようですが
黒沼 そう 生きている人には特にね(笑)
── 室内楽にとり組まれたのはいつからですか
巌本 変則的にはずっと前からです 最初は渡辺(暁雄)さん井口(基
成)さんとトリオを演ったりしてましたから
黒沼 江藤(俊哉)くんなどもいたんじゃない
── それは斎藤秀雄さんを中心にですか
巌本 ええ でも売物じゃなくて レッスンとしてのアンサンブルでし
たけれども
── あどけない少女の頃だったわけですね
巌本 つまり 17才ぐらい(笑)ってわけね
── そして21才の音楽学校教授も誕生しましたね アメリカでは演奏
会が主な目的だったのですか
巌本 最初のふれこみは やはりそういうことだったようですね 私は
信じちゃいませんでしたけれども(笑)でもパーシンガー教授に教わる
ことができましたしね
── タウン・ホールの他には出演されなかったのですか
巌本 ちいさなコンサートなどには出ましたけれども だいたいは勉強
していましたね
── おふたりが 室内楽で共演されたのはいつごろからですか
黒沼 ぼくが戦争から帰ってきたのが昭和24年ですから その数年あと
ですね ぼくは当時オーケストラにいたんだけれども ラモー室内楽団
ができて そこで一緒に演っていたのが最初かな だからもう20年ちか
くになりますか
── 演奏家として 室内楽をひとつの目標に定められた動機のような
ものが それぞれおありだったのですか
黒沼 ぼくの場合は 音楽学校でロマン・デュクソンという先生に習っ
ていたのですが 室内楽の経験も豊富だし とってもいい先生だったん
です その頃からぼくはコンチェルトの独奏者やオーケストラには興味
がなくて とにかく室内楽をやっていこうと思っていましたね
── 巌本真理弦楽四重奏団として正式に結成されるまでにも しばし
ば共演されていたのですね
黒沼 クワルテットを中心に 作曲家別の演奏会だけでも10回くらいや
りましたね 全曲連続というのはブラームスが最初です
── ベートーヴェンは 非連続にひととおり手がけられたのでしょう
か
黒沼 いや ほんとうはそういいたいんだけれども実は残念ながら二三
残ってるんです
── 全曲連続ということになると 作曲家によってはつまらない曲
駄作のたぐいも含まれるわけですね
黒沼 それはありますね 曲がまずくても演奏がすばらしかったという
風にやりたいですね 実際はその逆の場合だってあるでしょうけれど
(笑)しかし台本のいいに超したことはありません
── 四つの楽器は それぞれ異なった活躍をするわけですが 各奏者
の奏法はすっかり統一した方がいいのか あるいはむしろ てんでばら
ばらの方が演奏効果がいちじるしい
黒沼 それは非常に具合が悪いんです ヴィオラが出てきた チェロが
でてきた というようじゃいけないんで 第1と第2のヴァイオリンの
区別がつかない というのが最高の状態なんです
巌本 ですからヴィブラートなんかもそろえるわけね
── すると楽器も同じ性質のものが望ましい
黒沼 厳密にいえば 同じ時代の同じ製作者のしかもいい楽器を四つそ
ろえなくてはいけないんです ブタペストのように 図書館でストラデ
ィバリウスをひとそろい借りてきて録音するというのは理想的ですね
── いま使っておられるのは 高価な楽器ですか
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07月12日(土)
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