ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一聴一席C清水焼・開窯200年 六世・清水 六兵衛 師をたずねて
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-2725.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C0%B6%BF%E5+%CF%BB%CA%BC%B1%D2+
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690626
── 初代が この地・五条坂に開窯した明和8年からかぞえて 200
年余りになりますね
清水 初代が お庭焼きをしていた妙法院の宮さまが 当時なかなかの
文化人で そのもとで頼 山陽・円山 応挙・松村 呉春などと交際もあっ
たようですね 自身はあまり絵付けをしていないのですが 応挙や呉春
と合作したものが残っています いわゆる六兵衛風のスタイルが はっ
きりあらわれたのは三代のときですね ちょうど明治の過渡期に 独得
の豪快な作風を示しています
── 慣習となっていた門跡寺院の庇護も当時なくなり 独立した芸術
家としての新しいありかたが要求された時代に ひとり気を吐いていた
といわれますね 六代を継がれた先生にとって やはり戦争中の御苦労
がその試練だったでしょうか
清水 たいへんでしたね いろいろ統制もあったし 火を出してはいけ
ないというので 煙だらけの中でカマを焚いていたのですが 薪がなく
なると工人たちをつれて山へ伐りにも行きました あるとき桧の配給が
あって“ヒの木”だからいいだろうと使ってみたのですが 朝から焚い
ているのに どうしても温度が上がらない 1200〜1300度でないと焼け
ないのですが 夜までかかって百束以上も余分につぎこんでみたのです
が 結局火力が足りないのです ずいぶん迷ったあげくに 一の間・
二の間・三の間とあるカマのうち 一の間を犠牲にする決心をして と
っておきの赤松を全部足して ようやく焼き上げたようなこともありま
した
── やはり 赤松でないとだめですか
清水 梅雨の前に伐って雨に打たれ乾いたりもしたのがいちばんいいの
です
── カマに入れる前には 出来上りの状態をあらかじめどの程度まで
予定されるのですか
清水 永年やっていても 実はだいたいのところでしかできません
カマの中の位置によって炎のまわり具合が異なるし 大きさもいろいろ
ですから 炎の通路を計算して置くのですが やはり予想どおりにいく
ことはむずかしいですね 人からみれば 何だというようなものですが
たとえば灰なども重要です うわぐすりの上に光っているのは 灰なの
です 灰が主体になって鉄を入れる青磁になったり 黄色や飴釉になっ
たり あるいは真黒の天目釉になったりするのです 銅を交ぜるとみど
り色になるわけです 堅木の灰といって 栗とかクヌギの灰がいいので
松などはだめです その灰の中にある不純物をとり除く手間もなかなか
たいへんでしてね 失敗も多いわけです
── 窯変も一種の失敗でしょうか
清水 油滴の天目などの場合は カマが冷める直前に薬がまだ泡だって
いて ごく表面だけおさまった時に ある種のガスが入って銀色になっ
たりする これが油滴の窯変ですね まあ ふつうの失敗では新しい釉
薬を発見するという場合も たまにはあるわけです
── 小さな異変は たえず起こり得るのでしょうね そして材料・素
材の組合せで できあがりの種類は無限にあるわけですね
清水 たとえば土なども いろいろに調合して練りあげるのです セメ
ントのように あらい土にしたり キメの細かいものにするわけです
最初の石ころみたいな状態から 粉末にして 水へ入れて不純物をとり
除く そしてフルイにかけて水槽のようなものに入れて攪拌したあと
泥みたいに沈ませる それをいくどもくり返して 気に入ったものに
精選していく 最後に数ヶ月“寝さす”といって貯蔵する そしてよく
寝さしたものを土もみしてはじめてロクロに載せるわけですね だから
もとの土がいいからといって いい作品になるとは限らないのです
── その工程を ぜんぶ御自分でなさるのですか
清水 もう年ですからね最近は 全部はとてもできませんが 若い人
たちも原料会社から土をとりよせて そんな事はやらなくなりましたね
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06月26日(木)
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