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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ポール先生、さようなら 〜 Super 〜
仲間だったのに、高校に進むと、文芸部・ホザナコーラス・器楽部など
彼の不得手なグループばかりに加わって、たちまち疎遠になりました。
 そして高校二年のころ、ひさしぶりに彼が訪ねてきた日、あるいは、
卒業後とつぜん彼が訪れたときには不在で、くりかえし彼の心を傷つけ
たまま絶えてしまったのです。
 彼女は、しかし井上君のことを思いだして、あるいは私にかわって、
彼をはげましてくれたのです。
 商売だの仕事だのを口実に、毎夜のように酒場にかよっている自分の
俗物ぶりを、彼女が知るはずもないが、もはや少年のこころを失った私
をたしなめるように、あるいはそれ以上に失わないよう伝えてくれたの
ではないでしょうか?
 わたしの人生において、彼女は知の女神にあたります。美の女神は、
わずか二度しか会っていませんが、ヴァイオリニスト・巌本真理女史の
厳しい芸術家としての姿でした。愛の女神は、亡き母であるはずですが、
彼女はあまりに厳格すぎたので、二人の息子の母に譲ることにします。
 
 ◆ Stag
 
 私にとって最後の同窓会は小規模なもので、案内状もつくらず十数人
に電話連絡しました。なぜか女人禁制です。招待する先生も、現職教諭
ではまずかろうということで退職されていた二人の先生が選ばれました。
 そんな趣向とは知らずに、三十歳をすぎた俗物紳士の秘密パーティに
招かれたのは、同志社大学人文研究所教授に栄進された杉井六郎先生と、
外車販売の日光社・営業部長に転向された高田幹也(茂)先生でした。
 高校生が、教壇の机にヘビの死骸(杉井先生の回想 P066 参照)を入
れた箱をおいて先生をおどろかせるような、悪ふざけのつもりでした。
 しかるに両先生は、なかなかの粋人であり、悠然として、われわれの
演目をたのしまれたらしい。
 杉井先生に格別の敬意を抱いていた私は、さすがに赤面して
「恥ずかしくって顔もあげられません」というと、先生は
「なに、君たちはもう立派なおとなに成長したんだ」と笑ってくださっ
たのです。
 おなじ言葉を、高校三年のときに(進級・進学について特別に呼びだ
された)私の父も聞いています。
「お父さん、いろいろご心配でしょうが、彼を一人前の紳士として接し
てやっていただきたい」
 一人息子の将来に暗然としていた父は、すっかり感動して帰り、
「あの先生はエライもんや」と母にも語っています。
 
 私に関して最後となった職員会議の席上、担任の杉井先生の発言を、
わたしは次のように空想しています。
「ただいまは数学・物理の先生から、彼の成績が進級・卒業に値しない
水準にあることを、きわめて具体的かつ客観的にご説明いただき、担任
として本人以上に恐縮した次第であります。もとより私の日本史におい
ても、いわんや各教科の先生がたにおかれても、同様のご意見がうかが
われましょう。しかしながら、いわば同志社の建学の精神を想起するに、
わたくしは新島襄先生のことばに、いまあらためて、胸うたれるもので
あります。“徹頭徹尾、生徒を愛すべし”もとよりわたくしは同志社で
教育を受けた者にあらずして、本校の末席につらなるという身にあまる
光栄とともに、つねづねこの言葉によって自らを律しております。この
言葉にひかれて、わたくしは本校の教員を志願し、お許しを得て以来、
ようやく最初の卒業生を送り出すときを迎えたのであります」
 
 おそらくこのような名調子で、修辞学の達人は列席者ひとりひとりの
心を平らげたのではないか、と思います。
「すなわち、かくのごとく卒業をひかえた生徒は、ことごとくわたくし
のかけがえのない生徒たちであります。かなうならば、いつまでも彼ら
とともに学び、彼らとともにありたいと願うのが切実なる心情でありま
す。優秀な生徒からは学びつづけ、優秀ならざるものには教えつづけた
いと願うものであります。さりとて彼らにも彼らの人生があり、未来も
あります。わたくしの手をはなれて飛躍する可能性は無限であります。

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10月09日(月)
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