ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1067700hit]
■ ポール先生、さようなら 〜 I was busy 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001007
◆ I was busy
── 幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はいずれも
とりどりに不幸である。オブローンスキイの家庭は、ひどくごたついた。
── トルストイ/
原 久一郎・訳《アンナ・カレーニナ 19691030 新潮社》P005
この長編の唐突な警句は、別の訳では「オブローンスキイの家庭は、
まるでめちゃくちゃだった」ではじまります。私の家庭はともかくも、
あたらしい商売は、わずか数ヶ月で、すでに「めちゃくちゃだった」の
です。あたかも真夏の《熱いトタン屋根の猫(*)》のように、のたう
ちまわっていた私に、亀田弘行君から電話がかかってきました。
ポール・グリーシー先生の帰国歓迎会をかねた、ESS同窓会の案内
でした。もともと私はESSのOBではありませんが、同窓会名簿には
掲載されているらしいのです。そこで、なかば冗談のつもりで、X嬢も
出席するかどうかたずねてみると、謹厳なる防災学者は、いったん電話
を切って調査してくれました。
「彼女の出席は、予知できない」
「わかった。君の厚意を尊重して、出席しよう」
電話のあと、ぼくは父にいいました。
「父さん、ちかいうち父子で昼酒でも呑もや」
「おまえ、商売たいへんやのに、どないした?」
「ええんや、ひさしぶりに気ばらしや」
こうして、庭園料亭・楠荘に電話で予約しました。
(中学同窓生で地歴部《旅のしおり》の編集スタッフでもある笠原信夫
君が若主人をつとめています)
「えろう早い時間帯やな」
「父子、水いらずや。そのあとESSの同窓会に直行する」
「あいかわらずやな、君は。中学のときから忙がしそうやった」
その日、若主人が出迎えてくれました。
「おこしやす、お父さん。ボクは(今日の)阿波君がうらやましい。離
れを用意しましたよって、どうぞごゆっくり」
彼が手を打つと、三味線をかかえた仲居があらわれ、ときならぬ宴会
がはじまってしまいました。やむなく私も、はじめて父の前で唄います。
“♪ 雨は降る降る 人馬は煙る 馬上ゆたかに美少年”
西南の役の敗北をうたった漢詩調の民謡《田原坂》です。
「まだまだ、一人前やないな」
座敷あそびの大先輩が、放蕩息子にあたえた最後の授業でした。
料亭が用意してくれたハイヤーで老父をデパートに送りとどけたあと、
昼酒のせいで紅顔となった車上の美少年は、ESSの同窓会に駆けつけ
ます。
(同志社高校ESS同窓会 19720813 京都大学学生会館)
────────────────────────────────
── 明治一〇年二月十五日、西郷隆盛を擁して決起した鹿児島私学校
の生徒らいわゆる西郷軍は東西二方面から破竹の勢いで北上した/その
一部は三月二〇日北から迫る政府軍を田原坂に迎え撃った/折りからの
大雨をついて両軍は終日力戦したが、ついに西郷軍は大敗して退いた。
── 《三六五日事典 今日はどんな日か 19681215 社会思想社》P83
── Taylor,Elizabeth 主演《熱いトタン屋根の猫 195812‥ America》
── 《屋根の上のバイオリン弾き 197112‥ America》
Fiddler on the Roof (つまらぬ人々のたとえ)
◆ Later
卒業後十四年ぶりに再会したポール先生は、同席する日本人の誰より
も美しい日本語を話されていました。
また英語であいさつしなければなるまい、と覚悟をきめていたところ、
みんな日本語で近況報告などしています(なんだ、ほんとは皆も英語は
面倒だったんだ)、ぼくの番がやってきました。
「私は、ポール先生にはほとんど教わることがなかった。宿題もせず、
今日とおなじく遅刻の常習者だった。しかし諸君、いまや私は英語教室
のオーナーなのである」
どうもESSの連中は真面目すぎて、ジョークが通じない。たんなる
自慢話ととられたものか、隣席の猿橋庄太郎先生が
[5]続きを読む
10月10日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る