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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ポール先生、さようなら 〜 too Long 〜
── 角屋 睦 (研究代表者) /昭和58年7月山陰豪雨災害、京都大学防
災研究所年報、第27号A、1984,pp.45-50
── http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/photo/misumi/misumi.html
── 昭和60年度日本気象学会秋季大会シンポジウム「都市化と災害」
の報告 2 角屋 睦 33 91―94 (3)
── http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/TENKI/index/subject/index4-1.html
 
──(脊髄腫瘍は)年間十万人に一人余りですから、滋賀県だけを対象
にしていると私のする仕事はほとんどありませんが、日本各地から患者
さんを紹介してもらいますので、年間三十人余りの方を手術しています。
これには脊髄血管奇形も含みます/「MRIといういい機械があるから
撮りましょう」と言われたら逃げればいいのです/私の師匠の、スイス
の教授は、打腱器、18金製の安全ピン、それにレントゲン写真だけで
診察されて、正確な手術をされていました。MRIを私も使うことがあ
りますが/百万人に一台で十分な機械なのです。ところが日本では、三
万人に一台、ところによると一万人に一台というところもあります。/
病気は、医師と患者が一緒になってお互いの信頼関係のなかで治してい
くものです。 ── 小山 素麿《名医が語る健康と医療のはなし》
── http://www.health-net.co.jp/meii/koyama.html
 
 
 ◆ Retire
 
 そのころ、NHKの新米プロデューサーだったのが竹内 康 君でした。
彼が文芸部の後輩として山脈十五号に寄せた哲学的論考《無情について
1958》は、つよく私の心をとらえ、のち追随して《日常について 1964》
を書いています。かつて、シンフォニエッタ初代コンサートマスターを
(しぶしぶながら)つとめてくれた彼との友情は、卒業後もつづいて、
とりわけ酒場において最高潮に達しました。
 京都放送局長に栄進したことを知り、二十五年ぶりの電話で、
「君は学者になるべきじゃなかったか?」というと、
「学者なんかいっぱい居るからね」、しからば手紙で、
「学者が多いわけではない、大学教授が多すぎるのだ」。
 つまり、彼のようなセンスと博識をそなえた、はたまた世俗に通じた
人文学者を、わたしは待望していたのです。
 彼の人生双六における“アガリ”はいつの日か、しかしまさかNHK
会長にはなるまいな(理事だって大変にちがいない)、などと老いたる
アキレスは、ひとりつぶやいています。
 
“老いたるアキレス”とは、ゼノンの詭弁「アキレウスと亀」から思い
ついた、いわば自嘲的造語です。
 あるとき何気なくNHK市民講座を観ていると、京都大学名誉教授・
森 毅 という数学者の解説では、この話をきいた賢人が「こんな詭弁に
つきあっていること自体、馬鹿げている」といって立ち去った、という
のが結論です。
 引退した学者とはいえ(その手は無いんじゃないか)せめて、素人に
興味のもてる説明を期待していたので、がっかりしました。あらためて
素人むきの通俗書や百科事典を読んでみても、納得できるものがない。
 そこで「距離もしくは時間が無限ならば、この詭弁が成立する」こと
に気づいたのですが、はたして、このような説明だけでよいものか。
 手稿《走れアキレス! 1987ca 》や《アキレスみたび 19931103 》で
図解したりするうち、そもそも疑問を抱いていた「時間とはなにか」を
自分なりの手法で説明してみよう、と決心したのです。
 まず、生没年月日(人が存在する期間)に異説・誤植が多いことから、
歴史上(あるいは伝承上)の人物には、ところどころ空白の期間がある
のではないか? ついで無限に連続すると信じられている歳月も、古代
から現代の暦法につながる確証はあるのか?
 たしかに、ひとりで考えることは能率がわるく、ほとんど役に立たな
いばかりか、しばしば幼稚で必然性にとぼしいのです。しかしこれまで、
ほんとうに自分ひとりで考えたのは少年時代だけで、おおくは専門家や
他人の意見に依存していたのではないか、と思いあたります。
 五十歳をすぎて、引退すべきか迷っていたころでした。
 

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10月08日(日)
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