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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ポール先生、さようなら 〜 Super 〜
前の、ほとんど口を利いたことのない相手、しかも年齢や容姿の変化に
かかわらず、満点ちかい正解率は自慢してよいでしょう。
これにくらべると、わたしが中学高校の七年間でおぼえた英単語は、
当時の推定で約一千語にすぎません。
国立大学の受験に約三千語必要ならば、漢字の名前(平均四文字五百
組、わたしの同期生はその三倍)を記憶する能力があれば、とるにたら
ないはずです。
しかるに、この記憶能力は、なぜか学業において機能しませんでした。
ヒトの記憶は、右脳における画像認識“アナログ記憶”によるとされ、
左脳では論理思考を操作するといわれます。一般的に、歴史年号や電話
番号(無関連な数字の羅列)などの記憶能力が高い人たちの、数字認識
“デジタル記憶”は、論理思考にも適しています。すくなくとも日常の
判断はすみやかで、ぐずぐずと迷うことがない。たぶん彼らは数字以外
にも“デジタル記憶”を応用できるらしいのです。
いっぽう、相互関連などの周辺情報とあわせて、数字そのものまでも
“アナログ記憶”する人々が居ないはずはない。個人的に小規模な調査
をしたところ、私と長男以外には該当者が存在しないのです。そこで、
これを“数の風景”と名づけましたが、余分な情報が多すぎるために、
実用面での効率が悪いのは当然でしょうか。
受付にあらわれた女性が「あのう、……ですが」と名乗るまえに、
「××〇子さんですね!」と旧姓で呼びかけることができます。
亀田弘行君も一目で思い出しました。このとき彼が名刺をくれたので、
みると「京都大学工学部教授」とあります。
「助教授」のまちがいではないかと再確認したくらいで、これは大変な
ものだと思いました。如才なく
「たいしたもんだ、いつ昇格したんだ?」とでもいうべきところ、適当
な言葉をさがしているうちに、つぎつぎに来場者があらわれ、それきり
になりました(彼としては、私の反応が物足りなかったでしょう)。
プログラムがはじまり、私がマイクをもって先生がたに順にスピーチ
をお願いしたあと、雇っておいた女性アナウンサーが、欠席者の祝電や
返信はがきのメッセージを読みあげます。
これには、あらかじめ私のメッセージを混ぜてありました。というの
も司会の役割とは別に、私の個人的な見解をひとこと言っておきたかっ
たのです。それも、皮肉たっぷりに。
「順境にあるヤツはがんばれ,逆境にあるヤツはザマア見ろ!」
百人もの宴会で、こういうきわどい表現は良識を欠くものだ、と眉を
ひそめる立場もありましょうが、(私の意図は)むしろ逆境にある同窓
生は、出席者のなかにも欠席者のなかにも居るはずだ、三十歳になって
苦労している仲間を、胸のうちで励まそうではないか、というところに
あったのです(Diogenis Laretii《Periandros》 参照)。
六十才になって、あの日の印象を思いだすと、事業で成功していると
みえた者は、すべて二代目ばかりで、あたらしい事業をはじめた者など
いなかったのです。かくいう私も、父のわずかな資産をもとに、いわば
家屋敷を投じて、それなりに緊迫感をもっていたのです。
独力による勝者を賞賛して拍手をおくるために集まったのなら、亀田
君はうってつけの第一人者でした。しかしそのあと、われもわれもと他
の者の自慢話がつづいたら、とても虚しいパーティになったでしょうね。
はたして二次会・三次会と流れるあいま、某君が私に小声で
「すまんが一万円貸してくれんか?」とささやきます。
そうだ、これも現実なのだと私は感慨をふかめたのです。後日、もち
ろん彼は返してくれました。
《同窓会始末 19710115-0415》を送ったあと、ひとりの女性から礼状が
届きました。
「あのあと井上正雄さんを訪ねて、同窓会がどんなに楽しかったか、お
話をしてまいりました」
ヘッセ《郷愁》に描かれたボピーとおなじ病気の井上君は、中学時代
の宗教部でどんなにか親しかったのに、半年もつづけた早朝祈祷会や、
ときには若王子山頂の校祖墓前に彼も挑戦し、街の安食堂で笑いあった
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10月09日(月)
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