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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ♪ 五木の子守唄
── 松本 清張《史観宰相論 19850825-19860725 文春文庫》198012‥
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710668X
 
 ◆ シンギング 〜 だれが歌うのか子守唄 〜
 
「同志社女子短期大学のヒガサです」と自己紹介したとき、すかさず
「夏向きやなぁ」と野次をとばして以来、別々のクラスではあったが、
有賀・木下ら三人組との交際がつづいていたのである。
 余談になるが、中学三年生と短大二年生は、ふつう十五歳と二十歳で
あって、与太郎は一年歳を食っているから、四歳あわよくば三つ違いの
お姉さんである。ハイキングにも出かけたし、戸畑市に帰郷した彼女が
東上するときには停車時刻を電報で知らせてくるので、三人組は京都駅
まで出かけて、数分の再会をたのしんだ。高校時代を通じて手紙のやり
とりがつづき、美術学校にすすんでからも、さきに彼女が引っ越してい
た神山町(東京・渋谷)の邸宅で夕飯に招かれることになった。
 しかし、あらわれるたびに落剥していく中退学生は、バプテスト教会
の牧師令嬢から、印刷された一片のはがき(新居案内)を受けとった。
 もしも彼女の夫君に出会うことがあれば、心をこめて伝えたい。
「彼女は、キリスト教徒として誇りたかい淑女でした。いっぽう小生も、
すくなくとも彼女の前では、敬虔なる下僕であったことを誓います!」
 
 合唱コンクールの準備はととのった。そして猛練習がはじまった。
 職員室の用をすませて出ようとすると、信楽先生に呼びとめられた。
「君のクラスでは、自由曲に《五木の子守唄》を合唱するらしいね」
「そうです」
「もっと中学生らしい、明るい歌を選んではどうかね」
「?」
「ボクの知るところ《五木の子守唄》は、階級的差別をうたった民謡で
あるらしい。中学生には難解で、不適当な主題ではないかね」
「よう考えて、みんなと相談してみます」
「そうすることだね」
 他の先生たちは、息をひそめて与太郎の反応をうかがっていた。彼が
一言も反論しないので、すこし意外だったらしい。あとですぐ本宮先生
にたずねられた。
「シガラキ先生、なんちゅうて?」
「まぁその、もっと明るい歌に代えたらどや、云われました」
「ふーん、それで君はどう答えたんや」
「みんなと相談してみる、云いました」
「みんな、どうするかな?」
「やっぱり、この曲がえぇ、云うと思います。なかなかの名曲ですワ」
 同級生のメンバーには、こう伝えた。
「ある先生が、この曲は暗いから止めたらどや、云われたけど、みんな
この曲えぇ思うやろ。コンクールで優勝したら栄光館に出られるぞ」
 コンクールの審査員は、すべて信楽先生と同じ意見であるわけがない。
まして信楽先生は、われわれの練習を聞こうともしないのだ。
 それきり信楽先生には報告もせず、先生も回答を求めなかった。
 
── 安井 かずみ・詞/平尾 昌晃・曲/小柳 ルミ子・唄
《わたしの城下町 19710425 ワーナーパイオニア》
…… ♪ だれが歌うのか子守唄《五木の子守唄》に酷似している。
 
── 宮崎 康平・詞&曲/森繁 久弥・唱《島原地方の子守唄》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030301 口先老人
 
 ◆ 五木節考 〜 誰がための子守唄か 〜
 
 日本民謡のなかでも《五木の子守唄》には、いくつかの疑点がある。
 戦後とつぜんの流行によって“子守唄の里”と称された五木村の人々
は、この子守唄を聞いて育ったにすぎない。
 本来の作詞・作曲者とみられる“かんじん”の少女たちは、隣接する
大陸出身者の被差別集落から五木村に派遣された幼い季節労働者である。
 雇い主に云えないような愚痴ばかりで、背中の子どもには一言も語り
かけない唄を、はたして子守唄といえるだろうか。彼女たちは、職業的
“シンガー・ソング・ライター”ではないから、どこかで聴きおぼえた
魅惑のメロディにのせて、不条理へのメッセージを託したにちがいない。
 魅惑のメロディとはなにか、いつどこで聴きおぼえたのか?

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11月27日(土)
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