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Kenの日記
by Ken
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■遍路二日目:松山市内・道後温泉へ
今日は朝から雨模様です。歩き遍路」しか泊めないというだけあって桃李庵の朝食は6時からです。ご主人は朝何時でも朝食を準備しますと言っていました。朝食の時に天気予報をしっかり見ようとテレビのボリュームを上げても良いかと聞くと、ご主人からの回答は「NO」でした。これは桃李庵さんの方針なのです。「歩き遍路」に対して一家言を持っているご主人でした。「愛知の佐藤」さんと朝食を一緒に済ませたのですが「愛知の佐藤」さんは6時30分に出発していきました。朝食前に出発の準備をすべて整えていたようです。
佐藤さんは今回が4回目の遍路だということで、札所間が長距離の場合には公共交通機関を使って効率的に回る遍路しています。私は6時45分頃小雨の降る中を出発しました。途中で雨具を付けることにして、出発の時にはポンチョは着けませんでした。桃李庵ご主人夫婦が玄関で見送ってくれました。雨の日の坂道下りは大変危険ですし、札所で納経帖に御朱印を頂く際にも納経帖が濡れないように気を遣わなければなりません。少し憂鬱ですが「雨」も試練だということで前向きに捉えなければなりません。
国道33号線の遍路道は桃李庵の近くから約2Km登りが続きます。そして三坂峠直前で細い遍路道が国道から右側に離れていきます。そこから「三坂峠」の下りが始まります。この遍路道は嘗ては松山から高知に向かう主要街道だったもので「久万街道」と呼ばれていました。峠の松山側は「鍋割坂」といわれ行商の金物屋が商売用の鍋落として割ったというほどの急坂です。遍路開始二日目から転んで怪我をしては大変なのでこの坂道は慎重に降りました。この遍路道は回りの大木が日光を遮っていることに加え雨模様で日光も差さないので「昼なお暗い」山道となっていました。
急な坂道を注意しながら降りていくと坂道登り口のところに旧遍路宿の「坂本屋」があります。まだプロパンガスが付いていて何時でも泊まれそうな雰囲気です。この場所に遍路宿があれば歩き遍路の選択肢が大分増えるのです。ここから歩き始めれば松山市内6札所を回ってゆったりと道後温泉で休むことができるのです。土曜・日曜は付近の方々がここで歩き遍路を「お接待」するのだそうですが、私はここを8時に通過したので残念ながら「接待」には与れませんでした。坂本屋で先発した「愛知の佐藤」さんに追い抜きました。
三坂峠を降りてからは松山市内の46番浄瑠璃寺、第47番八坂寺、第48番西林寺、第49番浄土寺、第50番繁多寺、第51番石手寺と6つの札所を回ります。第一回の遍路の時に高知市内の札所(国分寺・竹林寺・禅師峰寺)を台風の最中に回りました。今日の天気はその時ほど悪くないのですが、雨のために雨具(ポンチョ」を着て歩き、納経帖は濡れないようにビニール袋に詰めてリュックにしまい、各札所でリュックから出すという面倒な作業が増えます。各お寺のお参りが忙しくなってしまいますし、歩いている間の注意力が散漫になるので道を間違えます。早くからポンチョを身に付けてできるだけ平常心で歩くよう努めました。
リュックから荷物を取り出すために急いで脱ごうとしたときにポンチョを破ってしまいました。最初の札所の浄瑠璃寺の納経所でホッチキスを借りて簡易に修理して歩き続けました。浄瑠璃寺は小奇麗な寺で本堂には「弘法大師の誕生仏」が置かれていて抱けるようになっています。また山門脇には正岡子規の句碑「永き日や衛門三郎浄るり寺」があります。「衛門三郎」は遍路の創始者とされています。衛門三郎の生家は八坂寺から1Km北上した「文殊院」の場所であり文殊院は別格霊場9番となっています。
松山の平野部の広い県道40号線脇に建てられている第48番西林寺は非常に立派な寺でした。西林寺の後遍路道は松山郊外を通り伊予鉄の踏切を渡って再び山里に入っていきます。伊予鉄踏切から直ぐの山間に第49番浄土寺があります。浄土寺には口元から吐き出すように小さな6体の阿弥陀仏が取り付けられている「空也上人立像」があるとのことです。諸国遍歴していた空也上人は3年ほどのこの浄土寺に滞在された時に作られたのだそうです。
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10月22日(土)
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