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Kenの日記
by Ken
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■遍路一日目:第45番岩屋寺往復
フェリーは朝5時に松山観光港に到着しました。小倉→松山はそれほど遠くはないのですし、航路としても遠回りではありません。朝5時到着は他の交通機関の始発までまだ時間があるので岸壁到着後でも船内で暫く過ごせるようになっています。一方このフェリー到着に合わせて松山市内に向かうリムジンバスも走っています。歩き遍路としては到着後直ぐにJR松山駅に移動しました。
一年前の前回遍路では「第44番大宝寺」まで参拝を済ませましたので、今回の遍路は「第45番岩屋寺」からの遍路再開となります。とにかく四国88カ所の半分の44番まで歩いておこうと考えた前回遍路の締めくくりは単純過ぎた考えでした。今回再出発点の久万高原に辿りつくことに苦労しました。遍路を区切る時には次にそこまで辿りつく旅程を十分考えなくてはならないことを十分過ぎるほど実感しました。
前回遍路で久万高原から松山駅までバスで移動したのですが、今回も再出発点の久万高原の久万中学前までは同じ路線バスで移動しました。JR松山駅から久万高原へ向かうバスの乗客は遍路客が殆どでした。バスが松山市の山間部に入っていくに従って中学生通学らし乗客が増えてきました。「久万中学校」の通学エリアは随分広いようです。
久万中学前でバスを降りて伊予鉄久万営業所前から今日の歩き遍路が始まりました。まずは県道12号線の舗装道路で山の中に入っていきます。県道12号線の途中から本格的な山の遍路道に分け入りました。前回の遍路から1年経過しているので長距離歩きの体力が持つかどうか心配でしたが大丈夫なようなので安心しました。
山道の遍路道に入ってから私の前方50mくらいの所に急に女性遍路が現れました。私は県道を歩いてきたのですが、彼女は地図には載っていない古い遍路道を歩いてきたようです。この女性遍路のペースが速いこと。荷物を宿に置いてきているようで軽装ではありますが私はとても追いつけないような速さでした。(この「健脚遍路女子」とはこの後何回か出合うことになりました。)
この山道の遍路道は途中の分岐点から分かれて「八丁坂」を経由する「農祖峠遍路道」に合流する事ができるように地図に示されています。前を行く女性遍路は何の躊躇いもなく淡々と能祖峠方面に進んでいったので、私も行ってみることにしました。ところがこの「八丁坂」までの急勾配の遍路道は大変に厳しいものでした。あっという間に彼女の姿は視界から消えました。老体に鞭打って数歩登っては休憩するテンポではとても彼女について行けないのです。この「八丁坂登り」が今回の最初の試練となりました。
しかしこの「農祖峠遍路道」は45番の岩屋寺の裏側に直接通ずる最短距離となっていて結果的には大分時間を稼ぐことができました。岩屋寺には山門が二つあり、一つは下から登ってくる道の山門、もう一つは農祖峠遍路道から下ってくる道の山門です。裏側の農祖峠遍路道を通ってくると修験者の行場である「逼割禅定」を見ることができます。危険なので行場には鍵が掛けられていましたが、逼割禅定に入る「鍵」は岩屋寺で簡単に貸してくれるのだということを後で知りました。
岩屋寺からの帰り道は県道12号線を歩くことにしました。「八丁坂」経由の遍路道をもう一度歩くことは選択肢にはありませんでした。この県道の遍路道は非常に単調なものでした。しかし下り坂は緩やかな車道を歩くのが「足」には良いと思いました。急な下り坂を歩くと足の爪先への負担が大きいのです。久万の街に戻り「お久万大師」でお参りをして今日の宿「桃李庵」に向かいました。
途中の久万高原物産館で中年男性遍路と出会いました。そこでは一礼して別れたのですが、更に進んだホームセンタコーナンの入り口からこの中年遍路が電話をしているところに遭遇しました。実は今晩の宿の桃李庵のご主人から「コーナンから電話せよ」と言われていたのです。中年遍路に「ひょっとして桃李庵にお泊りですか」と尋ねるとその通りという答えが返ってきました。私も言われた通りに桃李庵に連絡したところ、今日の客は佐藤が2名だとの回答が返ってきました。「九州の佐藤(私)」と「愛知の佐藤(中年遍路)」の二人の佐藤がこの日の桃李庵の宿泊客でした。
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10月21日(金)
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