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Kenの日記
by Ken
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■遍路三日目:伊予北条まで
朝7時からの朝食を済ませて松山ユースホステルを出発すると、遍路道は有名な道後温泉本館をぐるっと迂回して西に向かって松山市内に入っていきます。道後温泉は随分昔倉敷勤務時代に一回来たことがありお風呂にも入りました。今回は全くの素通りです。道後温泉本館は朝6時から入浴可能で、この朝風呂に入るために便利な本館近くの宿が人気があるようです。朝一番のお風呂はさぞ気持ちの良いものでしょう。朝風呂帰りの浴衣を着た数人の観光客とすれ違いました。

道後温泉本館は平成27年松山国体終了後に改修工事に入るとのことです。温泉施設営業は工事中も継続することになったようですが、観光客に人気のある有名な本館の外観は全てフェンスで覆われてしまうようです。それに備えて現在近代的な「椿の湯」の別棟として昔の建物様式を再現した「湯屋」という施設を建設中です。松山にとって道後温泉は観光の目玉なのです。

遍路道は松山市中心部には入らずに右折して国道196号線に入って今治方面に北上していきます。幹線道路を通過していくので、沿線にホームセンタがあったら破れたカッパの代わりを購入しようとホームセンタを探しながら歩きました。そしてホームセンタを見つけ、代わりのポンチョを買うことができたのですが、曲がるべき交差点を随分通り越して直進して進んでいたことが分かりました。通り掛かりの住民の方に大まかな方向を聞いて田園を突っ切って本来の遍路道に出ることができました。その近辺には大きな建物が無く遠くからでも目立つ「松山北中学」をめざして歩けというアドバイスは的確なものでした。

背の低い小山をぐるっと迂回すると第52番札所の太山寺の一ノ門が見えてきました。時刻は11時30分で道後温泉からは約10Km歩いたことになります。一ノ門から太山寺本堂まではまだ随分距離があります。一ノ門から山門まで随分距離がある参道が続いています。太山寺本堂は国宝に指定されていて屋根瓦が見事な建物でした。この太山寺に比べて次の53番札所の円明寺は随分庶民的な印象の寺院でした。円明寺では「愛知の佐藤さん」と再会しました。愛知の佐藤さんは円明寺の直ぐ近くに「JR伊予わけ駅」があるので、次の札所付近までJRで移動すると言っていました。

円明寺を過ぎると遍路道は海岸線近くを通って行きます。久万高原以来山道が多かったので海岸を通る遍路道は最初はとても新鮮な感じがしました。しかしずっと続く海の風景は非常に単調なものです。「愛知の佐藤」さんが言っていましたが、距離のある単調な道は一回歩けば十分で二回目は公共交通機関で移動すると日数もお金も節約して回ることができるようです。

この海岸沿いには山側を国道196号線がそしてJR予讃線が走り、一番海側を旧街道の県道347号線が走っています。伊予北条の少し手前の「西の下」という地区に「高浜虚子」の胸像と小さな太子堂がありました。虚子は幼少の頃の数年間をこの「西の下」で過ごしていて、松山に戻ったときには必ずと言っていいほど「西の下」を訪れたのだそうです。其の太子堂には「遍路の墓」があり、幼少の虚子には「歩き遍路」のことや「歩き遍路」が途中で命を落とす話が印象に残ったようです。

この太子堂の近くに「虚子生家の碑」が建っています。その隣の家の人が偶々道に出ていらっしゃたので「虚子がお隣で生まれたのですね」と尋ねてみると、「そうではなくて虚子が帰省中にこの辺りに来た時に偶々用足しに寄っただけの場所だよ」という回答が返ってきました。

伊予北条の宿(シーパまこと)に着いたのが3時過ぎだったので、荷物を預かってもらって「先取り」して歩くことにしました。この北条から遍路道は海から離れて山越えし、JRは海岸を走って行きます。そして「JR伊予浅海駅」で再び遍路道はJR駅にぶつかります。約4Km程の山道の遍路道を歩き帰りはJRで戻って来ることにしました。


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10月23日(日)
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