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Kenの日記
by Ken
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■第43番明石寺から内子町へ
今日は天気の回復状況を見てどこまで歩くのか決めることにしました。昨日昼頃まで好天気に恵まれた遍路だったのですが、夕方から天気が崩れ始めて夜には大雨となってしまいました。遍路は雨の中でも雨具を着けて歩くのですが、雨の中の歩行は靴下が濡れて「肉刺」が出来やすくなり、その肉刺の痛みによって歩行距離はだんだん短くなっていきます。できたら避けたいものです。

今日以降も雨が降り続くようであれば約30Km先の「大洲市」まで歩き、大洲市で今回の遍路を区切り「八幡浜市」発の伊予鉄道の夜行バスに乗って新宿に戻ることも考えました(案1)。一方、天候が回復し今日明日も長距離歩けるようであれば、もう一泊して約75Km先の「第44番大寶寺」まで歩き、そこで遍路を区切ろうというのが第2案です。これは八十八箇所の半分の四十四番まで辿りついて置きたいという単純な発想です。

このどちらにも対応できるように「とうべや」ご後主人には朝食を「お結び」に代えて貰って昨日中に準備をしておいてもらいました。今朝天候が回復していたなら出来るだけ早く宿を出発できるようにと考えました。朝4時半頃に眼を覚ましました時には外は「土砂降り」でした。物凄い音を響かせて大粒の雨が降っていました。これでは「案1」でも難しいかもしれないという懸念も過ぎりました。

しかし朝6時過ぎの天気予報によると愛媛県西部の「大雨」は今日の午前中には峠を越して午後からは雨が止みそうだとい話が出てきました。そして朝7時過ぎには雨の勢いは少し弱くなってきました。これは「運」が向いてきたと考えて7時30分には宿を出発しました。宿のご主人は「本当に大丈夫なの」という風な顔付だったので、雨が再び酷くなれば引き返すことも考えている旨お話して出発したのでした。

私の予想は見事にあたり、雨脚はどんどん弱くなっていき午前10時近くに雨が止んだのでポンチョを脱ぐことが出来ました。このポンチョはひじょうに便利でリュックとともに上半身を雨から守ってくれました。しかし問題は膝から下でした。昨日夜から降り続いた雨で山間の遍路道は「臨時の川」のような様相を呈していました。ポンチョでカバーされない雨はどんどん靴に流れ込むし、川のような遍路道では当然靴はびしょ濡れになります。予想通り両足には「肉刺」が出来始めました。

雨が止んだので今日のスケジュールを確定することにしました。大洲市で遍路を打ち上げるのではなく第44番まで足を延ばすというものです。しかし朝6時前に出発していれば問題ないものの、今日は雨が小降りなるのを待っていたため1時間以上出発が遅れてしまったことです。「第44番大寶寺」までの77Kmの道程を二日で歩くには今日中に「内子町」まで行っておきたいのです。距離は約40Km。夜遅くなって着いてもよいように内子町の「民宿シャロン」に素泊まりで宿を確保しました。

遍路道が内子の街を通り抜けていました。内子の街には「内子座」という古い歌舞伎劇場があります。この劇場は大正天皇即位をお祝いして当時の有志が建設したもので来年が丁度建設100周年となります。国の重要文化財に指定された立派な建物です。こういう形で後世に文化財を残す先達がいるのはうらやましい限りです。

「とうべや」から約40Km歩いたのですが、朝の雨と途中の山間の遍路道に雨水が流れていたことで靴の中はびしょ濡れとなっていました。「民宿シャロン」では500円で洗濯をしてもらったのですが、ズボン・靴下に加えて汚れた「靴」も洗って頂き、靴の中に新聞紙を詰めて乾かしてくれました。明日は遍路最終日となるのですが、最終日に濡れた服とか汚れた靴で歩くのは辛いものですし、第44番大寶寺の後に新宿まで高速バスに乗ることとなるので、綺麗に洗濯してもらったことは非常にありがたかったです。 
09月24日(木)
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