ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99106hit]
■第41番龍光寺、第42番仏木寺
今日は津島町の「三好旅館」を出発し第41番の龍光寺、第42番の仏木寺を打ち、仏木寺近くの民宿「とうべや」さんの泊まっています。歩いた距離は30km弱で午後3時30分過ぎには宿に着くことができました。国道56号線「松尾阪トンネル」を回避して古い遍路道を選んだのですが、これが予想したほど厳しいものではなく、すんなりと歩くことできたので、道中ずっと快適な歩きができました。歩き遍路開始後10日程過ぎると身体が長距離歩行になれてくるもののようです。この感じだと40Kmもそれほど大変だとは思えません。
今日お参りした第41番龍光寺大変地味なお寺でした。参道の正面にはお稲荷さんが鎮座しているため赤い鳥居が遠くから見えます。寺に山門等の門はありません。お稲荷さんの左に本堂があり右側に太子堂があります。お遍路はお稲荷さんにはお参りせずに左右の龍光寺にだえお参りします。何か変な感じがしました。
一方そこから3Km程離れた第42番仏木寺は大変綺麗なお寺でした。作りも新しいのですが、それなりに風格があり落ち着いたなお寺さんでした。今日の宿の「とうべや」も非常に小ぎれいな民宿です。作りが新しく清々しい感じです。ネット上では人気のある民宿なので満員かと思っていたら客は私一人でした。連休最後なので今日まで遍路している人は少ないようです。
今日の遍路道は宇和島の街中を通過しました。宇和島市は今年宇和島伊達家400年祭りの年にあたり市内各所に記念祭りのポスターが貼ってありました。宇和島市内の伊達家屋敷を博物館に改装した「伊達博物館」でも400年記念展示をしていました。400年前の1615年は大坂夏の陣で「豊臣家」が滅亡した年です。この大坂夏の陣で活躍した伊達家は恩賞として宇和島10万石を徳川家康から与えられました。初代藩主は正宗の長男「伊達秀宗」です。長男は秀吉の「秀」を賜っています。そして徳川二代将軍秀忠の「忠」を賜った次男の「忠宗」が仙台伊達を継承しました。興味の尽きない「宇和島」でした。残念ながら詳しく散策する時間はありませんでした。
今晩の宿の「とうべや」さんは若い頃地質調査関係の仕事で全国の宿を「泊まり歩いた」というご主人が一人で運営されている「宿」です。嘗てのネット情報では山から「狸」が家族で下りてきて「とうべや」の庭先で餌を食べる光景を見ることができる宿として有名でした。現在は猪が出没するために猪狩りが行なわれ、それに連れて狸も近づかなくなったとのことでした。その代わり近所の猫(野良)が毎日やってきます。
遍路開始以来続いた晴天も今夜から崩れ出しそうです。夕方頃から雨が振り出しました。天気の崩れは「遍路」の大敵です。そろそろ今回の遍路切り上げ計画を考え始めました。現在宇和島市を抜けたところですが、そのまま遍路道を進むと30Km程度先に「大洲市」があります。「大洲」は八幡浜市初東京行きの「伊予鉄高速バス」が通っています。天候が悪化し雨の日が続くようであれば、「大洲市」当りできりあげる選択肢を「案1」としました。
一方天気の崩れが今晩が峠で明日以降暫く好天が続くのであれば、少し長距離を歩いて「第44番大寶寺」まで歩いて大寶寺から松山に出て松山から焼こうバスで帰る方法を「案2」としました。現在42番ですが、44番までは77Km程度あります。77Kmを2日で歩いて午後7時30分松山発の予行バスの乗るというの少々チャレンジングな案です。どちらかにするか明日の天気次第です。
09月23日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る