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Kenの日記
by Ken
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■遍路五日目(第16番観音寺から第17番井戸寺まで
○第13番大日寺から第16番観音寺まで4.9Km
○第16番観音寺から第17番井戸寺まで2.8Km
○第17番井戸寺から宿まで8.4Km
遍路歩行距離:16.1Km 歩数:38,224歩 宿:二軒屋オリエントビジネスホテル
その外に宿から「ピッツェリアスガッチー往復2Km)
第13番大日寺の朝の「お勤め」はファンがいるだけあって非常に面白いものでした。ご住職ともう一人の僧侶の読経の後でご住職の講話がありました。この話の内容はご住職が本にして出版しているようです。ご住職は韓国伝統舞踊の一人者であり、先代大日寺住職に見初めされて前住職と結婚されました。その8年後に先代住職が突然亡くなられたために大日寺住職を引き受けることになりました。以下ご住職のお話を紹介します。
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私は36歳の時に韓国伝統舞踊を紹介するために訪日しました。四国徳島での公演のときに大日寺宿坊に一週間泊めて頂きました。無事公演を終えて韓国に戻ってから先代住職(ご主人となる方)から琴線に触れるお手紙を頂きました。そのとき先代住職は55歳でした。独身の先代住職の猛アタックの末にその一年後には二人は結婚することなっていました。(ここで先代住職の手紙を朗読されました。) 先代住職は「貴方は何もしなくても良い。男でも女でも良いから子供を産んでください。」と言われました。大日寺住職はこれまど何代にも渡って子供に恵まれず外から養子を迎えていたのでした。結婚の三年後に男の赤ちゃんを産んだときには本当に喜んでくれました。長男の誕生日は4月13日です。13番札所の子供として不思議な縁だと思います。
ところが結婚8年後には先代住職が脳梗塞で倒れそのまま亡くなってしまいました。その時には私はまだ日本語を十分に話せない・漢字も読めない状態だったのです。子供と一緒に韓国に戻って韓国で暮らしていこうと考えました。しかし先代住職は銀行からお金を借りておんぼろだった大日寺を立派なお寺に改築していました。先代住職のお葬式の日に銀行の方がやってきて大日寺の借金がまだ1億円以上残っているということを知らされました。この大ピンチに誰が大日寺の舵取りをしていくのか。
この時先代住職のお母さんが「貴方ならできるから住職になりなさい」と励ましてくれたのです。息子も「自分はしっかり住職になる勉強をするからそれまでしばらく母さんが住職となってください」と言ってくれました。また私の父(日本生まれの韓国人)も励ましてくれました。周囲のそうした励ましで日本語・お経を勉強して住職となる決意をしたのです。
住職はそのお寺の全般に責任を持ちます。宿望の宿泊客は季節によって増減します。客の多いシーズンだけ宿坊を手伝ってくれと言うわけには行きません。ですから宿坊に泊まりたいという電話があっても、人手が限られている時には断らざるを得ない場合があります。私のお父さんは大分で生まれた韓国人です。日本で教育を受けましたが戦後韓国に戻って韓国人社会で暮らしていく事は大変でした。日本での教育は認められないので公式の学歴は「尋常小学校卒業」です。しかし勉強熱心な父は韓国で独学で勉強して国家公務員になり、6人の子供立派に育ててくれました。
父はアメリカと韓国の仁川に住まいがあります。一年の半分は大日寺を手伝ってくれています。でも日本国籍がないので一年の一定期間日本から出国しなければなりません。むかしはアメリカの家に帰っていたのですが、年をとって飛行機の長時間旅行が苦痛となっために韓国の仁川にマンションを確保したのです。現在息子は18歳になっています。アメリカで勉強していますが、アメリカの大学を終えた後は高野山の大学に入って僧侶になる勉強をする予定です。四国八十八札所遍路を世界資産にしようという希望がありますが、そうなると英語を話せる住職が必要になります。息子は日本語・韓国語・英語・スペイン語が話せますので、外国人の遍路がきても十分対応できます。息子が日本に一時帰国したときの檀家のお寺で挨拶をした録音がスマートホンに入れています。息子が将来住職を次ぐ気持ちでいること、父親と私の後ろ姿をしっかり見て育ってきたことが分かります。(ここで息子さんのスピーチを再生。)
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05月03日(日)
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