ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99117hit]
■遍路四日目(焼山寺から下り、第15番国分寺まで)
○鍋岩荘から第15番国分寺まで19.5Km
○第15番国分寺から第14番常楽寺まで0.8Km
○第14番常楽寺から第13番大日寺まで2.3Km
歩行距離:22.6Km 歩数:43,813歩 宿:大日寺宿坊
鍋岩荘を7時15分に出発しました。鍋岩荘から第13番大日寺までは17Kmあります。遍路ルートは二つあって概ね長い下り坂の道と距離は少し短いものの峠越えの険しい道があります。距離の短いルートを選びましたがこれが結構厳しい山道でした。いきなりかなり険しい上り坂が数Km続きました。これは「遍路ころがし」と同等の坂道だと思いました。この坂道の頂上「「玉ケ峠」を越えてしまうと後は緩やかな下り坂とアスファルトで舗装されたなだらかな道が続きました。
昨日は急坂を降りる場面で慎重にゆっくりと降りてきたのですが、ゆっくり下る場合と少しスピードを上げて下るのとでは膝への負担がそれほど変わらないことに気づきました。それならば膝への負担を増やさないように足をできるだけ上げないで(忍者のように)小走りに降りると要する時間が短くなることに気づきました。登り坂は根性ですが、下り坂は工夫次第でいろいろな歩き方ができることが分かりました。
山道からいったん谷に降りてしまうと、後は谷を流れる「鮎喰川」に沿った舗装道路の道です。ここはひたすらがんばって歩くだけです。道の片側には「鮎喰川」がずっと続いています。沿道で何人かの方に「鮎」は釣れるのか聞きましたが、最近は「サギ」と「鵜」が飛来して解禁日前に「鮎」を食べてしまうとグチをこぼしていました。人間の釣り人の解禁日は6月1日だそうですが、その前に「サギ」と「鵜」が大量に食べてしまうのだそうです。
遍路道が通過する「阿川地区」という場所を通ったときに非常に興味深いものに出会いました。その集落では街道に沿った多くの家屋の前に等身大の人形が飾ってるあのです。多くは老人の人形ですが、孫と思われる子供と並んで居る人形もあります。人形はそれぞれ表情が非常に「親しげ」なのです。人形の飾っている家の隣の家の人が偶々戸外に出ていたのでこの人形のことを聞いてみました。
このあたりの集落でボランティアが等身大の案山子(人形)を作り初めたということですが、阿川地区では亡くなった方の写真を元に亡くなった方に似せた人形を作るようになったのだというこのです。その人の隣の家の人形は亡くなったの「お婆さん」に似せて人形を作ったとのことでした。その人は「人形はお婆さんそっくりですよ」と言っていました。お年寄りの人形は生前にきていた服やら帽子を身に付けているようでした。遍路道を歩いているとお墓を自宅敷地に隣接して作っている家が多い事に気づきます。先祖の墓は自宅近くに作り事ある毎にお参りできるようになっているようです。亡くなったお年寄り人形もそんな風習の延長なのかもしれません。
比較的順調に歩くことができたので「第13番大日寺」には相当早く付いてしまいそうなこととなりました。時間がもったいないので、少し遠回りして「第15番国分寺」と「第14番の常楽寺」を参拝することにしました。そのために途中から少し遍路道をそれました。国分寺に行くと中で軽トラを運転してきたおばさんがわざわざ軽トラで追いかけてきて「八朔とレモン」を接待してくれました。
通常に遍路道を逸れるとこういう経験出会う事ができるようです。すでに国分寺近くまできていましたのでその辺りの地理を聞いてみると田植え前の田圃の中のこんもりした小山は古墳だと教えてくれました。また近くの山の山頂に「雨乞い神社」があったとかそれが移転されたとか、この辺りが昔等から古い言い伝えのある場所だということを教えてくました。奈良飛鳥、吉備、信州上田、府中の国分寺など何カ所か国分寺を知っていますが、この阿波国分寺も「奈良飛鳥」と同じような雰囲気を持っています。奈良時代に国分寺の場所の選定した人達はよほど奈良飛鳥の雰囲気が好きだったのだと思われます。
[5]続きを読む
05月02日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る