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Kenの日記
by Ken
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■戦後70年
昨日のBSフジの「プライムニュース」で作家の「半藤一利」さんをゲストに迎え「戦後70年とは何なのか」と題して半藤さんのお話を放送していました。東大の加藤陽子教授もゲスト席に座っていましたが発言の機会は半藤さんの方が圧倒的に長かったです。これは実際に戦争体験をした半藤さんと戦後生まれの加藤教授とでは言葉の重みが違うので仕方ないでしょう。半藤さんが上手に加藤さんに話を振るのですが、加藤さんの説明は常に研究者の話し振りで誤解を避けようとして冗長になるので分かり難かったです。
幅広い層の視聴者が見ていたようで視聴者からの質問は重要なポイントを突いていました。阿倍首相の「積極的平和主義」についての半藤さんの答えは予想の範囲内で無難なものだと思いましたが、「一般国民の戦争責任」を問われた時の半藤さんの話は少し弱かったと思います。敗戦前後の日本国内の酷い状況(食糧難、アメリカの爆撃による被害など)を経験経験しているだけに、一般国民が戦争責任を反省していないとしながらも、当時国民が自らその日を生きるのが精一杯であったことから、戦争の責任を云々する状況でもなかった(ムニャムニャ・・・)という雰囲気でした。
昨年読んだ本に「長崎の鐘」があります。1949年に出版されて非常に読まれた本で、今でも歌われる「長崎の鐘」の元にもなった永井隆の作品です。この「長崎の鐘」を読むためには、その後ろに収録されている「マニラの悲劇」も読まなくてはなりません。「マニラの悲劇」は日本軍がマニラで行った「マニラ大虐殺」の記録なのです。GHQは「長崎の鐘」の出版については「マニラの悲劇」と合本とすることを条件に出版を許可したのでした。
永井教授の被爆体験は原爆の破壊力の凄まじさを医者の立場から冷静に描写したものです。広島・長崎の原爆被害に留まらず、東京大空襲を始めとする日本各地への爆撃・社会の混乱は酷かったと思います。「長崎の鐘」はそのことを後世に伝える貴重な作品です。一方で、現在「長崎の鐘」を知っている人で「マニラ虐殺」のことを知っている人はどれくらい居るでしょうか。「マニラ虐殺」だけに留まらず、日本軍が満州事変から太平洋戦争で進出した地域において「反省すべき」あるいは「記憶に刻むべき」事件は幾つもあったのだと思います。マニラ市内の観光地「サンティアゴ要塞」には「マニラ大虐殺」のことを記した小さな看板があります。
戦後も70年も経つと戦争を知っている世代は少なく、戦争を語り継ぐチャンスがどんどん消えて生きます。戦争を語り継ぐ場合に「自分達の苦しかったこと」「自分達が被った」ことは語り継がれ易いですが、「自分達が犯した罪、自分達が行った恥ずべき事」を語り継ぐことは難しくなります。それは私達の先達の「間違い」を語り継ぐことです。決して英雄美談ではありません。その話は常に辛く・恥ずかしく・恥ずべきで・できれば聞きたく無い種類の話となります。しかしそれを語り継ぐことこそ「戦争責任の自覚」では無いでしょうか。戦争経験者の方には是非とも恥を忍んで語ってほしいと思います。
01月06日(火)
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