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Kenの日記
by Ken
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■指揮者のマゼール死去
指揮者のロリン・マゼールが無くなりました。享年84歳でした。フランス生まれですがアメリカで音楽教育を受け、小さいころから音楽の才能を示した天才肌の指揮者でした。私はバイオリンを弾きながら指揮する写真をみたり、来日公演のテレビ放送でスコアを置かないで「暗譜」で指揮する姿を見て才能のある指揮者だなと考えていました。
実際には学生時代にパリ管弦楽団の横浜公演で楽器運び・ステージ設えのアルバイトをやった時の印象が強く残っています。アルバイトの「恩典」として「幻想交響曲」の「ゲネプロ」を客席で見せてもらったのでした。演奏会本番はともかく「ゲネプロ」ではスコアを置いているだろうと思っていたのですが、指揮台の前には何もないのです。そして二楽章の「ワルツ」の途中で何度もオケを止めて、スコアを見ないで「ハープ奏者」に幾つか注文を付けていました。全パートの楽譜が頭に入っているのかしらとびっくりした記憶があります。
マゼールについてはもうひとつ印象深い話があります。それはカラヤン亡き後のベルリンフィルのシェフの選考のことです。当時既にウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場の指揮者を経験したマゼールはカラヤンの次の常任指揮者の最有力候補だったようです。ところが選ばれたのが今年1月に81歳で亡くなった「クラウディオ・アバド」だったのです。
気合の入ったアバドのベルリンフィルとの最初の演奏会での「ブライチ」は録画してありますが、勝利者アバドの晴れ姿が映っています。しかしベルリン・フィルのアバド時代が終わってみると、常任指揮者アバドの選択は正解であったのかどうか。個人的にはその後のアバド・ベルリンフィルの関係はあまり良くなかったという気がしています。ではアバドの代わりにマゼールを常任指揮者に選んでいればどうなっていたか。残念ながらこの組み合わせも頭の中で想像する限り大成功に至らなかったのではないかと思われます。ベルリンフィルとの演奏で成功するためには楽員から(音楽的にも人間的にも)尊敬され愛される必要があると思いますが、どうもこの二人はそういうタイプでは無いように思えました。では誰が良かったか。残念ながら当時誰も誰も居なかったというのが正解のようです。
07月15日(火)
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